玉川上水探索最終回の続きです~
下見の時より手前の西代々木橋から脇道に入り、
細い道を北へ歩きます。たぶんこの道は水路の跡だろうとのことです。
甲州街道に出ると歩道橋を渡り・・・
下見時と同じ、突き当りの階段を上って、
本町隧道の右にある階段を上がって、新水路を歩き、
本村隧道を下ってきて、下の道から隧道を撮りました(左側に階段有り)
3箇所の隧道がありましたが、笹塚の隧道は中野通り整備の際に消滅、現在は本町隧道と本村隧道のふたつ残っています。
近代水道・浄水場の建設と新水路
幕府によって管理されていた玉川上水は、明治維新(1868)後は東京府へ移管されそのまま使われていた。
次第に上水の水質悪化が深刻になり、明治26年(1893)、淀橋浄水場の改良水道起工式が行われ、
明治31年(1898)に完成。(総面積34万500㎡)
新水路で導水された玉川上水は、淀橋浄水場から神田・日本橋方面へ送水。
昭和40年、拡大する東京の水を支えるため、利根川・荒川からも取水することになり、東村山浄水場が創設された。
明治32年より稼動し、関東大震災、第二次世界大戦の災禍もくぐり抜けて来た淀橋浄水場は、
すべてが東村山浄水場に移管され、廃止。
跡地は新宿副都心となり、ビル群に変貌した。
エルタワーの植え込み中に赤御影石の「淀橋浄水場跡の碑」
住友ビル外庭に「浄水場の蝶型弁」
新宿中央公園に残る「六角形の洋風東屋」 など現在も残っており、当時を物語っている。
新水路は、和田掘から甲州街道の北側をほぼ直線(最短距離4.2m)に造られ、
自然流下方式で玉川上水か導水した。
低地を通るため、浄水場掘削の土を利用して土手を築き、水路には16本の橋が架けられた。
また、水路の下を人馬が通れるように隧道が3ヶ所設置された。
和田掘から下流・四谷大木戸までの玉川上水旧水路は、上水路の役目を終え、排水路となる。
新水路は、築堤の上に築かれたので、関東大震災で大被害を受け、
復旧には被害の無かった旧水路を使い、ポンプで浄水場に通水し、急場を凌いだといわれている。
昭和12年(1937)、甲州街道の地下に水道管を埋設し、新水路は廃止、
水路の跡は『水道道路』という車道に転用されている。
時代と共に変化している水道の様子がよく分かりました~
水路跡らしき、こんな細い道を歩いて甲州街道へ戻ります。
天神橋跡の記念石柱
そこから左に少し行くと、下見の時には上手く撮れなかった「天満宮」
樹齢200年の箒銀杏。
玉川上水旧水路へ戻ります。
歩いているとこんな場所があり、これも何となく水路に関係ありそうな空間です。
東京南新宿ビルディングの中、左の柱に、
「葵橋の記」の銘板がはめ込まれています。下見の記事には載せましたが、
こんな文章が記されています。
『注:青字はSさん作成の貴重な資料より引用しました』
次は賑やかな新宿界隈を歩きます~
つづく
昨日(3月16日)のトータル歩数10304歩、脂肪燃焼量28.6g、総消費カロリー1927kcal
今日は暖かい青空が広がっています。
アンズの花が咲き始めました~
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