yopikoの、たなばた日記

フクロウグッズ・書・風景・植物や日々の出来事など、写真で気ままに綴っています♪

玉川上水43kmを歩く・下見(4-2)貫井橋~梶野橋

2015-10-07 08:30:00 | 「玉川上水に親しむ会」&水辺探索

今月の例会では西武多摩湖線・一橋学園下車、桜橋からJR中央線・三鷹駅までを歩きます。
歩く場所の再確認の為、5月に下見したので載せます。

小平から小金井、桜並木を歩きます。


貫井橋。「上水記」記載の古い橋。
鈴木新田開拓者の鈴木利左衛門が貫井村の本家から新田に通うために架けた橋。
当初は「鈴木橋」と呼ばれたという。


水は下の方にチラッと見えます。





右岸、土の道を歩きます。


フェンスには桜の模様が付いています。


小金井橋。「上水記」記載の古い橋。
橋の名称は武蔵七井の一つである名水『黄金井』が近くにあったことから。

「名勝 小金井桜」の標柱
大正13年、国の名勝に指定された記念の碑で、大正14年の建立。


小金井街道の拡幅に伴い、2006年(平成18年)暮れから架け替え工事が行われ、
昭和5年に架設された石橋(橋脚がアーチ)は取り壊され、橋の南側に旧小金井橋の煉瓦アーチが残されています。



この辺りから、玉川上水北側に広がる小金井公園へ行き、お昼を食べました。


休憩後、この正面入口から出て、玉川上水散策路へ出ます。
途中の、陣屋橋、新小金井橋、睦橋(歩道橋)は通りませんでした・・・


小金井公園正面口を出た場所では、人道橋の設置工事をしていて散策路は歩けませんでした。
その橋は7月31日に開通しました。橋の名は「平右衛門(へいえもん)橋」 
武蔵野新田開発の世話役で、堤に桜を植えた川崎平右衛門の名前が付きました。

例会では新しい橋のチェックが出来そうです。

関野橋に出ました。

「上水記」に記載されている古い橋。
享保9年(1724)、下小金井村の名主・関勘右衛門が北側に拓いた関野新田に架けられた橋。
当時は「関野新田橋」と呼ばれていたが後に「関野橋」と改称。


この辺りは大きい木を伐採し、明るくなっています。
明るすぎて、玉川上水ではないような感じ。


「さくら折べからず」と刻まれた石碑が建っています。
川崎平右衛門が植えたヤマザクラも、100年も経つと樹勢が衰えてきました。
代官が地元の農民に手当てを命じ、枯死した桜の後には新しい木を植えさせました。
田無村の名主・下田半兵衛は桜の補植に熱心で、江戸時代終わり頃の嘉永4年(1851)に石碑を建てました。






梶野橋に出ました。

「上水記」に記載されている古い橋。
享保年間(1716~1736)、上小金井村の名主・梶野藤右衛門が拓いた新田に架けられた橋。

羽村堰から約22キロ地点まで来ましたよ~

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