その男、ラリー・シュリーブの店へ急ぐ。ジョージア州はアトランタの環状285線の5番出口で降り、2~3分走らせ左折した所にその店はあった。「Abudullah the Butcher, House of Ribs & Chinese Food」と書いてある。そう、あの、悪役プロレスラー、アブダラ・ザ・ブッチャーの店なのである。
あの70年代、時はジャイアント馬場の時代、16文キックを喰らい血だらけになって戦っていたあのブッチャーだ。
入り口のテラスっぽいところに屈強の男が4人くらい居る。それを横目に店に入ると結構広く、無造作においてあるテーブルで何人かの黒人男女がリブの肉をほうばっている。そう、コノ辺りは低所得者層の地域で殆ど黒人の町だから当然で、こちトラは黄色人種で何となく場違いなのはしょうがない。
リブ中心のランチをオーダーして我テーブルに持ち帰り食べること30分くらいか。あの大男のブッチャーが店に入って来た。店に入って来た時点で東洋人が居ることが分かっていたらしく、店のマネジャーに二言三言声を掛けてからこっちに来て、「フロム ジャパン?」。我々の前にどっかりと座り、かくて、ブッチャーとの話が始まった。
顔を見ると、額の辺りは無数の傷。リングでアレだけ血を流してどれくらいで治るのか聞いたら翌日には治っているという。そんなものかと感心。
ジャイアント馬場については、レスラーとしての評価も高かったが、プロモーターとしての腕前には舌を巻いたそうで、特にギャラの交渉は抜群の上手さを発揮していたらしい。「奴はプロレスラーの前にやり手のビジネスマンだ」と言っていた。今はプロモーターとして年に何回も日本に行くらしい。「俺は日本のパスポートを持っているから入国で並ぶときは日本人のところに並ぶ」と言うので、「そりゃすごい」と持ち上げて、頭の中では「ホンマかいな、嘘こくな、お調子こくな」を叫んでいた。
話もひとしきり、腰を上げて帰る段になると、店の壁に貼ってある数々のファイト写真の一つに案内してくれた。ジャイアント馬場との熱戦であった。
ドアを開け、「サンキュー、スィーユー」と言うと呼び止められた。たまたま持っていた日本語の新聞をくれと言う。「オカアチャンに日本語の新聞を見せてやりたい」とニコっと笑った。ワイフは何と日本人だったのだ。これで先ほどのパスポートの件、腹に落ちた。
あの70年代、時はジャイアント馬場の時代、16文キックを喰らい血だらけになって戦っていたあのブッチャーだ。
入り口のテラスっぽいところに屈強の男が4人くらい居る。それを横目に店に入ると結構広く、無造作においてあるテーブルで何人かの黒人男女がリブの肉をほうばっている。そう、コノ辺りは低所得者層の地域で殆ど黒人の町だから当然で、こちトラは黄色人種で何となく場違いなのはしょうがない。
リブ中心のランチをオーダーして我テーブルに持ち帰り食べること30分くらいか。あの大男のブッチャーが店に入って来た。店に入って来た時点で東洋人が居ることが分かっていたらしく、店のマネジャーに二言三言声を掛けてからこっちに来て、「フロム ジャパン?」。我々の前にどっかりと座り、かくて、ブッチャーとの話が始まった。
顔を見ると、額の辺りは無数の傷。リングでアレだけ血を流してどれくらいで治るのか聞いたら翌日には治っているという。そんなものかと感心。
ジャイアント馬場については、レスラーとしての評価も高かったが、プロモーターとしての腕前には舌を巻いたそうで、特にギャラの交渉は抜群の上手さを発揮していたらしい。「奴はプロレスラーの前にやり手のビジネスマンだ」と言っていた。今はプロモーターとして年に何回も日本に行くらしい。「俺は日本のパスポートを持っているから入国で並ぶときは日本人のところに並ぶ」と言うので、「そりゃすごい」と持ち上げて、頭の中では「ホンマかいな、嘘こくな、お調子こくな」を叫んでいた。
話もひとしきり、腰を上げて帰る段になると、店の壁に貼ってある数々のファイト写真の一つに案内してくれた。ジャイアント馬場との熱戦であった。
ドアを開け、「サンキュー、スィーユー」と言うと呼び止められた。たまたま持っていた日本語の新聞をくれと言う。「オカアチャンに日本語の新聞を見せてやりたい」とニコっと笑った。ワイフは何と日本人だったのだ。これで先ほどのパスポートの件、腹に落ちた。