よし坊のあっちこっち

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ビン・ラーデン追跡の10年(3)トラウマ (Peter Bergenの本を読んで)

2012年07月14日 | アメリカ通信
9・11以降、アメリカはアフガニスタンのどこかに潜んでいるはずの本来の敵、ビン・ラーデンを必死に追い求め、首都カブールを初めとして大掛かりな爆撃を繰り返す。これにより、アルカイダ側に大きな損害を与えた事は事実で、カブールは陥落する。居場所を失ったビン・ラーデンはかつてソ連がアフガンに侵攻した時にソ連と戦い。それを蹴散らしたゲリラ戦最適の地、トラボラへ移動しアルカイダの建て直しを図る決断をする。トラボラはパキスタンとの国境に近い山岳地帯で、ソ連も大いに梃子摺り、後に撤退を余儀なくされた程攻略が難しい地形にある。トラボラの裏手はパキスタン領に続き、逃げるのには絶好の立地にあった。しかし、実はこの時点で、ビン・ラーデンは相当追い詰められており、アメリカの果敢な攻撃があれば捕捉も可能だった状況にあった。だが、肝心なところでアメリカの逡巡が彼の逃走を可能にしてしまう。彼の捕捉まで更に6年待たねばならない幕開けでもあった。

何故、アメリカはチャンスを物に出来なかったのだろうか。
ビン・ラーデンがトラボラ山中に移動した事を掴んだアメリカ前線部隊は、確実にビン・ラーデンをたたく為に、トラボラの裏手のパキスタン側への逃走ルートを遮断した上での総攻撃を上奏するが、最終決定機関に到達する途中でボツになってしまう。
総攻撃作戦を決断出来なかった背景は二つ。ひとつは、既にイラク攻撃の準備をしつつあり、兵力を割きたくなかった事、もうひとつは、ソ連がゲリラ戦に梃子摺り、結果的に撤退せざるを得ないほど損害が大きかった事実がアメリカ軍のトラウマになって、総攻撃には消極的になっていた。

追い詰められていたビン・ラーデンは、米軍の大々的な攻撃の可能性を考え、アメリカが逡巡している間にトラボラから忽然と姿を消し、アメリカはイラク戦争へと突入していく。こうしてイラク戦争が主役に躍り出て、ビン・ラーデン追跡は脇に追いやられる。以後、ビン・ラーデンを追うCIA人員も大幅に縮小されていくことになる。

イラクでは一定の成果を見たブッシュ政権だが、彼の政権中にビン・ラーデンを捕捉するチャンスはついに巡って来なかった。