よし坊のあっちこっち

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ビン・ラーデン追跡の10年 (8終)最も長い一日 (Peter Bergenの本を読んで)

2012年07月26日 | アメリカ通信
実行部隊を乗せた二機のブラック・ホークとバックアップ部隊を乗せた三機のチヌーク・ヘリがパキスタン西部国境に近いアフガニスタンのジゃララバード基地を飛び立った。いずれも、レーダーに感知されないよう、超低空飛行が出来、ステルス対策が施されている優れ物である。作戦には予期せぬ事故がつきものである。最初のヘリが着地に失敗し損壊するも隊員は無事で、そのまま降機、2機目は予定を変え建物の外に着地、隊員は建物の中に消えていった。建物上空の無人偵察機Droneから送られてくる識別可能映像はここまでで、隊員達が再び出てくるまでは詳細は分からない。ホワイトハウスやCIAなど関係者にとって長い40分が始まった。
部隊はまず”クウェート人“を射殺後、その兄夫婦を射殺、二階でビン・ラーデンの息子のカリードに遭遇して射殺、最後のビン・ラーデンの部屋に突入し射殺(胸と左目に二発)。当夜11人の大人が居たが、男4人と女1人射殺、女2名重傷の結果となった。
ジャララバードの作戦本部のマックレイブンのもとに実行部隊から“Geronimo”の連絡が入る。Gで始まる単語は目標物確保の意味である。続いて”Geronimo EKIA”が入った。Enemy Killed In Actionである。直ぐさま第一報としてホワイトハウスにリレーされた。
部隊はビン・ラーデンの写真を撮りワシントンへ転送、DNA鑑定の為に必要な組織を遺体から採取、そして損壊したヘリ(一機48億円相当)の爆破を終えて帰路につく。ジャララバードでは、ビン・ラーデンの遺体を前に、マックレイブンと専門家による遺体確認と検分が行われる。特徴データでの確認作業中に身長計測用の巻尺がない事に気づき、マックレイブンは基地の隊員で同じ背丈の者を横に寝かして、データと合致した事を確認。目視確認でもビン・ラーデンと判断し、オバマに電話を入れる。
マックレイブンは作戦でヘリ一機を失った事を冗談交じりにこう謝罪する。「閣下、私はあなたに6千万ドル(48億円相当)の借金を作ってしまいました」。すかさずオバマが切り返す。「こういう事じゃないかな。私はパキスタンに6千万ドルのヘリを置いてきてしまったし、君は巻尺を買う1ドル99セントを持っていなかったということだよ」。この話が数日後の伏線になる。作戦完了後のホワイトハウスでのオバマと側近による奇襲作戦検討会のことである。ビン・ラーデンの身長測定の巻尺が用意されていなかった点を除いてマックレイブンの準備は完璧だったと総括した後、側近のトニー・ブリンケンは、オバマに「マックレイブンに金メッキの巻尺を進呈したらどうか」と提案する。4日後、マックレイブンがオバマに面会に来たとき「ヘイ、君に贈り物がある」と言って、記念盾に載った巻尺を差し出すのである。

アナウンスメント
オバマは、二機のヘリがパキスタン領を正確に離れた事を確認してまず電話をしたのが、前任の大統領ジョージ・ブッシュであった。続いてビル・クリントンに電話を入れた。クリントンがアメリカ大統領としてビン・ラーデンの殺害を命じた最初の大統領だったからである。次に英国首相デイビッド・キャメロンに繋いだ。盟友国にして2005年のアルカイダによるロンドン地下鉄爆破テロの犠牲国である。最後の当事国となった同盟国パキスタンのアシフ・アリ・ザルダリ大統領に入れる。彼の妻はテロにより暗殺されたブット女史である。
次の問題は、いつ公に発表するか。情報漏えいを恐れて直ぐにでも発表すべきと言う意見も有ったが、オバマはDNA鑑定を待つことにした。しかし、現地パキスタンで騒ぎが広がりつつある事、特にパキスタン軍が真相把握に乗り出し、先手を打たねばならない事等から急遽、当日の5月1日夜11時30分から大統領の重大発表がある旨メディアに通告された。

11時30分、テレビの画面にオバマが登場、長い10年の追跡に終わりを告げた。