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ビン・ラーデン追跡の10年 (7)決断:アボッタバードへの道 (Peter Bergenの本を読んで)

2012年07月24日 | アメリカ通信
3月に入り、オバマは関係閣僚会議を招集した。作戦案は4つ。B-2による爆撃、無人機による攻撃、小規模部隊奇襲作戦、パキスタン軍との共同作戦。民間人犠牲者の増大、不確実性、秘密リークの可能性の点から、3つの案が脱落し奇襲作戦が残った。オバマはマックレイブンに具体的計画の立案とその実現性の検討を指示する。
マックレイブンはDEVGRU(旧SEAL6)による綿密なシミュレーションを行い、作戦が可能であるとの確信を得て4月25日にその旨オバマに上奏する。作戦概要はこうである。アフガニスタン東端にある米軍ジャララバード基地から奇襲部隊を乗せたブラックホーク・ヘリ2機(SEALs22名、通訳1名、軍用犬1)及びバックアップ部隊のチヌーク・ヘリ3機が出動、奇襲部隊は建物の中庭に降下、住居に侵入しビン・ラーデンを捕捉する。生きて捕捉出来ない場合は遺体を回収し基地に戻る。基地で本人確認の後、空母カールビンソンへ移し、そこで海葬とする(後々墓を作られて英雄視されては困る事と、イスラムでは海葬が許されている事から)。
4月28日、オバマは最後の関係閣僚会議の招集をかける。そこでメンバーに十分な討議をさせる。オバマを支える3人の重要閣僚の考えはこうである。副大統領のバイデンは、ビン・ラーデン存在の確証なくば作戦自体に反対、国防長官のゲーツは、確証の無い中では奇襲作戦はリスクが高すぎるとして反対、やるなら空襲を主張。特にゲーツの反対は、過去のトラウマとも言うべきイラン救出作戦失敗やソマリアにおけるブラックホークダウンを目の当たりに見てきたことが大きく影響していた。彼は、この大統領に同じ失敗を繰り返させたくなかったのである。国務長官ヒラリー・クリントンは、リスクはあるがこのチャンスを逃してはならないとして奇襲作戦に賛成を表明した。オバマは議論が出尽くしたところでこう言った。「状況証拠に立脚する限り確立は100%にはならない。単純に言えば確立は50・50である。この確立でやるかやらぬか。一晩考えて最後の決断をしたい」。

翌29日(金)8:20 オバマは前日の会議で作戦賛成を表明していた側近3人を呼び、こう言った。「君たちの考えは今日も変わらないか」。3人とも再度作戦決行を進言した。「私の答えはゴーだ」。この作戦は友好国であるパキスタンにも事前通告しない、完全な極秘作戦となった。決行日は翌5月1日の土曜日とした。実は土曜の夜は毎年恒例のホワイトハウス詰め記者のディナーパーティが予定されており、オバマとしてはパーティが始まる前に作戦を実行したかったのだが、金曜の夜になり、日曜の天候のほうが作戦に有利との現地情報が入り、その判断に従った。この時点で日曜日に通常一般公開されているホワイトハウス見学ツアーを中止する手続きがとられた。土曜日のパーティでは異変に目ざとい一部の記者が日曜日の閉館に疑問を挟んだが、“配管工事”を理由に逃げ切った。かくて「ネプチューン・スピアーズ」と命名された奇襲作戦が始動する。