トラボラから消えたビン・ラーデンは何処にいるのか。ビン・ラーデンに辿り着く方法はいくつか検討された。ビン・ラーデンは、隠れ家から外部の同士に接触する時、連絡係(クーリエ)を使っていた。探知される電子機器は使用は避けていたのである。そこで、CIAはこのクーリエの所在・動静を掴む事で突破口を開こうと考えた。逆に言えば、他に有効な方法は無かったと言っても良い。そのひとりに、9・11以降のかなり早い段階で、アメリカがマークしていた“クウェート人”がいた。アルカイダの中でどのような地位、機能を果たしているかは不明だったが、その動静の把握は地道に続けられていた。
2010年夏、CIAのパキスタン人協力者から突破口を開く情報がもたらされた。“クウェート人”を尾行していたところ、イスラマバード北方のアボッタバードという町の外れにある巨大で異様な家に入っていったというもの。3階建てで周囲を壁で囲い、家の窓が少ない。CIAの専門家にして、‘要塞“と言わしめた住居である。周囲の調査で2005年頃に建設されたと分かった。果たして、そこにビン・ラーデンは居るのだろうか。確証は無いが、心証はクロである。だが簡単には動けない。
この頃のアメリカは、そしてCIAはひとつのトラウマを抱えていた。イラク侵攻にあたって掲げた“大量破壊兵器”の存在が見事にひっくり返されたことから来ていた。その反省から、物証が無ければ先に進むことが出来ない状況になっていた。建物の中には、”クウェート人“とその家族、”クウェート人“の兄とその家族、何人かの女性・子供の他にもうひとりの「人物」が生活していることまでは分かった。この「人物」は何者か。ビン・ラーデンか、それとも、どこか中東の王子がお忍びで秘密の生活をしているのか。無人偵察機での必死の撮影で、毎日一定時間中庭を散歩する姿までは捉えたが顔までは識別出来ない。ビン・ラーデンは決して顔を上げなかった。CIAでは繰り返し「人物」の査定を行う。ある者は確立40%でビン・ラーデンだ、ある者は80%の確立でそうだと言う。が、全ては推測の域を出なかった。こうして2011年の運命の年を迎える。
2010年夏、CIAのパキスタン人協力者から突破口を開く情報がもたらされた。“クウェート人”を尾行していたところ、イスラマバード北方のアボッタバードという町の外れにある巨大で異様な家に入っていったというもの。3階建てで周囲を壁で囲い、家の窓が少ない。CIAの専門家にして、‘要塞“と言わしめた住居である。周囲の調査で2005年頃に建設されたと分かった。果たして、そこにビン・ラーデンは居るのだろうか。確証は無いが、心証はクロである。だが簡単には動けない。
この頃のアメリカは、そしてCIAはひとつのトラウマを抱えていた。イラク侵攻にあたって掲げた“大量破壊兵器”の存在が見事にひっくり返されたことから来ていた。その反省から、物証が無ければ先に進むことが出来ない状況になっていた。建物の中には、”クウェート人“とその家族、”クウェート人“の兄とその家族、何人かの女性・子供の他にもうひとりの「人物」が生活していることまでは分かった。この「人物」は何者か。ビン・ラーデンか、それとも、どこか中東の王子がお忍びで秘密の生活をしているのか。無人偵察機での必死の撮影で、毎日一定時間中庭を散歩する姿までは捉えたが顔までは識別出来ない。ビン・ラーデンは決して顔を上げなかった。CIAでは繰り返し「人物」の査定を行う。ある者は確立40%でビン・ラーデンだ、ある者は80%の確立でそうだと言う。が、全ては推測の域を出なかった。こうして2011年の運命の年を迎える。