よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

ビン・ラーデン追跡の10年(4)弔い合戦 (Peter Bergenの本を読んで)

2012年07月17日 | アメリカ通信
新大統領オバマのメッセージが注目された。タカ派的前政権とは異なる和平模索のソフト路線をアピールしていたオバマに対する世間の前評判は“弱そうなオバマ”であったが、ビン・ラーデンとアルカイダに対しては徹底的に叩くと宣言し、世間に意外な印象を与えた。ブッシュがキリスト教とイスラム教の戦いの図式をメッセージにしてしまった反省からか、明確にイスラムとテロリスト“ビン・ラーデン”を線引きを引きすることによって、敵対の図式を取り払った。その後、オバマはビン・ラーデン捕捉のための戦術レベルをドンドン上げていく。例えばDroneと呼ばれる無人偵察攻撃機を多用し、ビン・ラーデン一派の勢力を着実に殺いでいく。ブッシュはDroneの使用が40日に一回であったのに対し、オバマは4日に一回の頻度であったことから、オバマも相当な強硬派である事が分かる。

それでもCIAの地道な追跡はなかなか報われずに2009年を迎える。そして、この年に大きな転換期を迎える事件が起こるのである。
トラボラから姿を消したビン・ラーデンの消息は様としてつかめない。その時点までのCIAの手法は、電波傍受による分析と協力国の諜報機関からの情報分析に頼り、007ばりの潜入捜査をしていたわけではない。そこに、友好関係にあるヨルダンの諜報機関から耳寄りな話が飛び込んでくる。ヨルダン諜報機関が過激派としてマークしていたヨルダン人医師を逮捕、彼をヨルダン側のスパイに転向させたところ、アルカイダに対するスパイ活動をやっても良いと言っているがどうするか、との問い合わせである。今まで自前のスパイを送り込んでいなかったCIAはこれに飛びついた。といっても、直ぐに信用したわけではない。人物評価をしようという事になり、パキスタン国境に近いアフガニスタンKhostにあるCIA支部に身柄を預けることにした。ここで事件が起こる。支部到着直後、このヨルダン人は自爆し、3人の子供を持つ45歳の女性支部長他CIA要員6名を一挙に失う事になる。アルカイダからの転向は偽りであった。2009年12月30日の事である。

この不幸な事件は、しかし逆にCIAを怒らせてしまった。火をつけてしまったと言っても良い。CIAの中に“弔い合戦”魂が渦巻いていく。年が変わった翌2010年春、パキスタンのビザ申請受付局では通常では有り得ない約400人の米国人の入国滞在申請の処理に追われる事になる。CIA及びその関連のエージェント達が自らの足でパキスタンでのビン・ラーデン追跡をしようと動き始めた。