食べ物業界ってぇのは、厳しい世界である。
人様の口に入る物を扱うのは、神経が行き届いていないといけない。
先日も、客の食べ残しを再利用したことで廃業に追い込まれた名店があった。
「食べ残し」とは言っても、口をつけたやつ、口をつけないやつ液体調味料はどうかとかいろいろな捉え方ができる。
巷では日本人らしい素晴らしい言葉として「もったいない」がクローズアップされている。
①食べ残すことは良いのか悪いのか。
良いに決まっている。無理して食べると体に悪い。
悪いに決まっている。もったいないし、行儀が悪いからだ。
②食べ残しをまた出すのは良いのか悪いのか。
良いに決まっている。食材を無駄にしないため。
悪いに決まっている。衛生上不潔である。
悪いに決まっている。儲かれば良いといのはだめ。
まあ、角度を変えてみれば様々な意見が出るだろう。
しかし、ニュースでは悪いことしかクローズアップされていない。
これは、息の根が止まるまで続けられるパターンだろう。
ところで、年末年始をインドネシアで過ごした。
義兄夫婦のアパートメントから1kmくらいのところに「パダン料理」の店がある。
店の外観。スマトラ島の伝統家屋調の造りだ。
「パダン料理」はインドネシアのスマトラ島発祥の料理である。
席に着くやいなや、惣菜の乗った皿がどんどん運ばれてくる。もちろん注文などはしていない。運ばれてきたものの中から、好きなものだけを食べ、その分だけ代金を払うというシステムだ。少しでも手をつけたものは一皿分の代金を支払うのだ。
店先に並べられている料理の数々
それらの料理を右手でいただく。ボーイさんが持って来た皿も右手でやりとりをする。インドネシアはイスラム教徒が国民の90%を占める国なのだ。左手は不浄だという。
ナシ(白飯)とパダン独特のカレーソースのコラボ
これは、ゆきたんくのストライクゾーンだった。
義兄がカレーソースで味付けされた、肉を取り分けてくれた。
肉は柔らかく鶏肉にも似た味で、舌の上でとろけるようで旨かった。
食べ終わってから義兄に「どうだった?」と感想を聞かれ、「旨いですね。」と答えたゆきたんくである。義兄は「子牛の脳みそだよ。」と言ってにっこり笑った。
最初に聞かされていたら躊躇したかもしれない。義兄が取り分けてくれた皿の上の肉を良く見ると、なるほど脳みその皺がちゃんと見える。
まあ、何だかんだ言って腹いっぱい食べた。旨かった。
①中には手をつけなかったり、②一皿に3個盛られていて1つしか手をつけなかったものもある。①は当然料金を払わないで良い。②は当然一皿分払うのだろう。
その一皿はゆきたんくが手をつけたものだ。義兄に「申し訳ない、全部食べなくて」と言ったら、「大丈夫、1つ足して他の客が食べるから。料金は食べた分だけ払えばいいんだ。」と聞き、心配そうな私の顔を見て「汁気の多い物は、そういうことはしないけれどね、この店は。」
今日の記事の最初の方で書いた部分はインドネシアでは大したことではないようにも思える。そうなるともう国民性とか感覚の違いだろう。ここで目くじらを立てたら生活して行けないのは明らかである。
物事を測るものさしが違うと、世間の見方も全然違うのだ。ゆきたんくはインドネシアの感覚の方が好きだな。