野田市(旧関宿町)の小さな街道に、お地蔵様がいらっしゃる。
きっと後から作られたであろう小さな祠に守られて・・・
お地蔵様は、一般的には「子供の守り神」として信じられており、よく子供がよろこぶお菓子が供えられていることがある。親しみをこめて「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼んでいるが、詳しいことは知らない方の方が多いだろう。
調べてみた。
きれいなお地蔵さまだ。
赤い字は作られた当時のものだと言われている。
地蔵菩薩 (じぞうぼさつ)、梵名クシティ・ガルバは、仏教の信仰対象である菩薩の一尊だ。クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味で、意訳して「地蔵」と言うのだそうだ。大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包みこみ、救う所から名付けられたとされる。
今までは何気に「お地蔵様」、「お地蔵さん」と読んでいたが、随分と深い意味があるのだなと思った。もっとも宗教に関係することで意味の軽いものはないだろう。また地蔵十王経によれば閻魔大王の化身ともされている。地獄の門番の化身にはどうしても見えないが、そうであれば道端ではなく、分岐点に立っているお地蔵様の持つ意味はどうなるのだろう。
お地蔵さまの役目は、お釈迦様が亡くなってから五十六億七千万年後に救済者弥勒菩薩が登場するまでの間、私達を救うことだという。
釈尊が入滅し、弥勒菩薩がこの世に現れるまでの仏のいない時代に、地獄・飢餓・畜生・阿修羅・人・天の六道(りくどう)に輪廻(さまようこと)して苦しむ人々を救うという菩薩だという。実際に真言宗のお寺では、六地蔵が必ずある。
道の分岐点に立つお地蔵さま
上の写真を見て思うことだが、現在では何軒かの家屋が建っている。このお地蔵様が作られた頃はきっと何もなかっただろう。このように舗装された道路も、植え込みも存在しなかったはずだ。
お地蔵様を良く見ると、「是より右は大町通」、「是より左は木町通」と刻まれている。道しるべの役割も果たしていたようだ。それらの字の下には、「桐ケ作村施工」と施工年月日(はっきりと読み取れない)があるから、刻まれた道案内は最初からあったと考えられる。今日の項を書きはじめた時、深く考えすぎて、分岐点に立つお地蔵様の意味を捉えようとした。そんなことではなく、道を確かめたり、ここを通る時に拝んだりしたのだろう。道行く時にお地蔵様のありがたみ、日常に幸せに感謝していたのに違いない。