変動、混迷、底の見えぬ不安、不穏、危機の時代。主要5紙の元旦の社説(産経は【年頭に】)の出だしに出てきた言葉です。2008年があけましたが、今年はどんな年になるのでしょう。
世界の変化の中での日本に、将来に影響を及ぼす正念場となる年となりそうですね。
読売(=構造的変動)、産経(=危機の時代)、毎日(=日本と世界の混迷)が、米国をはじめ世界各国の政権交代と、それにともなう変動への日本のありかたを問うています。
朝日(=不穏な年明)も同様の視点です。「外から押し寄せる脅威よりも前に、中から崩れてはしまわないか。」とし、ねじれ国会に絞り込んで、「今年、政治の歴史に大きな節目を刻みたい。」と結んでいますね。
選挙で民意を問うて、自民が2/3以下でも勝ったら、参院の多数を振りかざさず、謙虚に政策調整に応じろとしていますが、民主党がそんな紳士の集団とは思えません。政党再編や連立組み替えにも言及しています。
外の脅威より、中での崩壊に着目している点は、朝日でもそう思うかと、改めて今の日本の与野党政治家の惨状を認識してしまいます。
「底の見えぬ不安は経済を萎縮させ政治を迷走させる。」と言う日経は、気候変動、地球温暖化を科学的に回避する道筋を確定することで、それは不安ではなく、解決可能な命題となるとし、洞爺湖サミットの議長国としての日本に期待を寄せています。「文明を変える議定書」というのもいいですね。
各紙言葉は違いますが、変動する世界に対し日本のあり方を論じている点共通していて、そのあり方を示しているのは、上記の日経と、読売・産経だと読みとれました。
読売の社説には、「2050年の経済大国」という 7カ国のGDPの棒グラフがついています。中国、米国、インドがベスト 3で、日本が 4位、ロシアが 7位というのは意外な感じがします。ただし、上位の 3カ国がダントツで、3位以下はガクンと下がって(3位の1/4以下)ドンクリの背比べです。
経済力を国力の評価とし、成長が著しく40年後にGDPが世界一になる中国への対応は、各国共に重要課題としています。各国の企業は、国内需要よりも伸びの大きいBRICsへの進出や輸出で成長を図るしかないわけで、安定した国交が求められることから、そのような傾向が生まれざるをえません。
ただ、それを逆手に覇権を拡大しようとするのが中国とロシアですね。
軍事力を拡大し、米国に肩を並べることで、これまでの米国同様発言力を強め、米国の一人舞台をに割り込もうとしています。さらに中国は、有り余る人口(登録人口は少子高齢化と言われますが)を、世界の各国に配布し、武力の他の経済進出(投資や買収)や、多数決の獲得(ロスに傀儡議員を当選させる。日本で反日団体の支援する政党によるねじれ現象をうまさせ、外国人投票権を認めさせ多数決で外国人による政治を実現させる)による覇権拡大も進めています。
覇権拡大の手を抑止するには、国防力を自前で持つことやその活動に制限がある今の日本には、日米同盟を基軸にしていくしかないということです。
勿論、米国一辺倒ではなく、もう一つの同盟国のオーストラリア(政権交代で見通しがつかなくなりましたが)や、アジアの各国とも絆を深めることは重要ですが、米国や他の国々も含め、応分の各種対応が必要となります。
世界の主要国の動きに対する日本の現状については、産経が単刀直入で判りやすいです。
今日の日本の閉塞感や衰退感から、現状を幕末に例えてた話を書かれていますが、明治維新のリーダーたる政治家たちには退路を断つ「覚悟の国家戦略」があったとし、幕末の意識があるということは、そのような政治家が出てくると期待されています。福田、小沢では駄目ですが、是非出てきて欲しいのですが、誰だろう...?
平成20年は、日本の国際的な指導力が試されるとし、先進国と途上国の対立をいかに協調へと導くか、議長国日本が手腕を示す千載一遇のチャンスであると言う点は、フォーカスに違いはありますが、日経と同じ日本のリーダーシップ回復への着眼です。
成長が著しい各国の国益むきだしの資源あさりや、野放図な経済活動について、ブータン王国の国家戦略に触れています。
企業の成長を遂げるには、BRICs、とりわけ現状では中国との取り組みを重視することにならざるを得ないと、前述しました。
ブータンでは、日本同様あるいはそれ以上に鶴を神格化して大事にしているのだそうです。ポブジカ村では、「電線を引けば、ツルの飛行の邪魔になり、ツルが渡ってこなくなる」と心配した村人たちが、電気のない生活を受け入れ電線のない生活をしているのだそうです。
更に、村の特産品のイモを森に住む野生動物から護るため、主燃料として使っていた森の木を切る薪を止め、家々の屋根にソーラシステムを付けているのだそうです。
上記、産経の転載のなかの「ブータン流「覚悟の国家戦略」とは、そのようなことなのです。
インドにイモを勝って貰うという経済成長(?)活動はしても、得た富をその基となる自然に還元し循環させる。小国だからと片づけられない原理が見えるような気がします。
産経も、日米同盟をアジア・太平洋地域に広く活かせるべきと結んでいます。
日米同盟は、こんにまでの日本の安全を護ってくれ、侵略への抑止力としても一定の成果(竹島には無力)はあげました。
しかし、おんぶにだっこでした。そのおかげで、経済成長に専念してきました。が、それはもうそろそろ変わらざるを得ないような情勢にさしかかってきたのでは?
日本は独立した、世界でもリーダー格の国のはずです。それが、お金を搾り取るためのおべっかでなく、名実共に認知されるには、どうすべきなのでしょう。
ひとつは、2紙が提案している、洞爺湖サミットの議長国の役割を達成することです。
もうひとつは、日米同盟の、同盟国の責任と義務を果たせるパートナーとしての行動を実行することです。そして、この強固な同盟を軸に、アジアや世界の平和に貢献することだと考えます。
↓ よろしかったら、お願いします。
世界の変化の中での日本に、将来に影響を及ぼす正念場となる年となりそうですね。
読売(=構造的変動)、産経(=危機の時代)、毎日(=日本と世界の混迷)が、米国をはじめ世界各国の政権交代と、それにともなう変動への日本のありかたを問うています。
朝日(=不穏な年明)も同様の視点です。「外から押し寄せる脅威よりも前に、中から崩れてはしまわないか。」とし、ねじれ国会に絞り込んで、「今年、政治の歴史に大きな節目を刻みたい。」と結んでいますね。
選挙で民意を問うて、自民が2/3以下でも勝ったら、参院の多数を振りかざさず、謙虚に政策調整に応じろとしていますが、民主党がそんな紳士の集団とは思えません。政党再編や連立組み替えにも言及しています。
外の脅威より、中での崩壊に着目している点は、朝日でもそう思うかと、改めて今の日本の与野党政治家の惨状を認識してしまいます。
「底の見えぬ不安は経済を萎縮させ政治を迷走させる。」と言う日経は、気候変動、地球温暖化を科学的に回避する道筋を確定することで、それは不安ではなく、解決可能な命題となるとし、洞爺湖サミットの議長国としての日本に期待を寄せています。「文明を変える議定書」というのもいいですね。
各紙言葉は違いますが、変動する世界に対し日本のあり方を論じている点共通していて、そのあり方を示しているのは、上記の日経と、読売・産経だと読みとれました。
多極化世界への変動に備えよ 外交力に必要な国内体制の再構築 (1/1 読売社説)
唯一の超大国の揺らぎ
どうやら、今、わたしたちは、世界の構造的変動のただ中にいるようだ。
「唯一の超大国」とされてきた米国の地位が揺らぎ、多極化世界へのトレンドが、次第にくっきりしてきた。
米国の揺らぎは、イラク戦争の不手際が招いた信頼感の減退によるものだけではない。より本質的な要因として、長らく世界の基軸通貨として君臨してきたドルの威信低下がある。
欧州の単一通貨ユーロが着実に力を伸ばし、第2の基軸通貨としての地歩を築いている。原油高騰で巨額の金融資産を積み上げている中東産油国や外貨準備世界一の中国などは、その一部を徐々にドルからユーロへと移し始めた。
やはり原油収入で潤うロシアは、国際政治上での「大国」復活を目指し、ソ連崩壊以来の対米協調路線から、対米対抗姿勢に転じた。
他方では、中国がめざましい経済成長を続けている。早ければ数年以内にも日本を追い抜いて、世界第2の経済大国となる勢いだ。それと並行して軍事力をも急拡大しつつある。いずれは、軍事パワーとしても、米国に拮抗(きっこう)する一つの「極」をなすだろう。
<中略>
あと40年ほど後の世界では、中国が世界一の経済大国となっており、米国が2位、中国に匹敵する人口大国インドが3位へと躍進している。
重さを増す対中外交
<中略>
世界のパワーバランスの変動過程には、さまざまな曲折、摩擦もあろうが、今後、日本にとっては、新たな「極」となりつつある中国との関係が、外交政策上、もっとも難しい重要な課題となるだろう。いわゆる「戦略的互恵関係」をどう構築していくかということである。
しかし、日本外交の基軸が日米関係であり続けることには、変わりはない。中国との関係を適切に調整していくためにも、見通しうる将来にわたり、日米同盟を堅持していかなくてはならない。
<中略>
日米同盟軸は不変
だが、だれが次期大統領になるかにかかわらず、中長期的には、米国にとっても、経済・軍事巨大パワーとしての中国との関係が「最重要」課題になるのは、いわば、自然な成り行きだろう。
そうした米国と、今後も、「最も重要な同盟国」としての関係を維持するためには、日本もこれまで以上のさまざまなチャンネルを通じての外交努力、あるいは相応の負担をする覚悟が要る。
その対米外交にしても、中国・アジア外交その他にしても、機動的な日本外交展開の前提になるのは、国内政治の安定である。国内が混迷状態では、日本の対外的発言、約束も信頼性が薄れ、外交力が弱まってしまう。
ところが、現在の日本は、衆・参院の与野党ねじれ状況により、内外にわたる重要政策について迅速な政治決定が困難になっている。新テロ特措法を巡る迷走は、その象徴である。
<中略>
危機の財政、社会保障
財政上の見通しがつかない中で、政府は社会保障関係費の伸びを切り詰めてきた。だが、そうした手法を重ねた結果、年金制度の将来不安だけではなく、医療、介護などに至るまで“システム崩壊の危機”といった声が上がっている。
こうした窮状を打開するには、国民全体が広く薄く負担を分かち合う消費税の税率を引き上げる以外に、現実的な財政収入増の方途はない。実は、そのことを与野党ともよく知っているはずだ。それなのに改革をためらっている。
ドイツでは、現メルケル首相率いるキリスト教民主同盟が消費税(付加価値税)率引き上げを公約に掲げながら選挙で勝利したという近例がある。だれしも増税がうれしいわけはないが、ドイツ国民はそれが必要なことを理解した。
強い政治的意思を示せ
日本国民も、その必要性、それによる福祉の将来像などを丹念に説明すれば、理解できないはずはない。
福田政権が当面なすべきことは、内外に強い政治意思を示すことである。
新テロ特措法案に限らず、外交上、財政上、あるいは国民生活上必要な政策・法案は、憲法に定められる「3分の2」再可決条項を適用して、遅滞なく次々と断行していくべきである。
野党の問責決議を恐れる理由は、まったくない。「3分の2」再可決は憲法に明記されているルールだが、問責決議などは、憲法にも国会法にもまったく根拠のない性格のものだ。内閣不信任決議とは、およそ重みが違う。
衆院の任期は、あと2年近くある。解散・総選挙を急ぐ必要はない。
もちろん、政策・法律の断行に際しては、国民に対する丁寧な説明を怠ってはならない。
唯一の超大国の揺らぎ
どうやら、今、わたしたちは、世界の構造的変動のただ中にいるようだ。
「唯一の超大国」とされてきた米国の地位が揺らぎ、多極化世界へのトレンドが、次第にくっきりしてきた。
米国の揺らぎは、イラク戦争の不手際が招いた信頼感の減退によるものだけではない。より本質的な要因として、長らく世界の基軸通貨として君臨してきたドルの威信低下がある。
欧州の単一通貨ユーロが着実に力を伸ばし、第2の基軸通貨としての地歩を築いている。原油高騰で巨額の金融資産を積み上げている中東産油国や外貨準備世界一の中国などは、その一部を徐々にドルからユーロへと移し始めた。
やはり原油収入で潤うロシアは、国際政治上での「大国」復活を目指し、ソ連崩壊以来の対米協調路線から、対米対抗姿勢に転じた。
他方では、中国がめざましい経済成長を続けている。早ければ数年以内にも日本を追い抜いて、世界第2の経済大国となる勢いだ。それと並行して軍事力をも急拡大しつつある。いずれは、軍事パワーとしても、米国に拮抗(きっこう)する一つの「極」をなすだろう。
<中略>
あと40年ほど後の世界では、中国が世界一の経済大国となっており、米国が2位、中国に匹敵する人口大国インドが3位へと躍進している。
重さを増す対中外交
<中略>
世界のパワーバランスの変動過程には、さまざまな曲折、摩擦もあろうが、今後、日本にとっては、新たな「極」となりつつある中国との関係が、外交政策上、もっとも難しい重要な課題となるだろう。いわゆる「戦略的互恵関係」をどう構築していくかということである。
しかし、日本外交の基軸が日米関係であり続けることには、変わりはない。中国との関係を適切に調整していくためにも、見通しうる将来にわたり、日米同盟を堅持していかなくてはならない。
<中略>
日米同盟軸は不変
だが、だれが次期大統領になるかにかかわらず、中長期的には、米国にとっても、経済・軍事巨大パワーとしての中国との関係が「最重要」課題になるのは、いわば、自然な成り行きだろう。
そうした米国と、今後も、「最も重要な同盟国」としての関係を維持するためには、日本もこれまで以上のさまざまなチャンネルを通じての外交努力、あるいは相応の負担をする覚悟が要る。
その対米外交にしても、中国・アジア外交その他にしても、機動的な日本外交展開の前提になるのは、国内政治の安定である。国内が混迷状態では、日本の対外的発言、約束も信頼性が薄れ、外交力が弱まってしまう。
ところが、現在の日本は、衆・参院の与野党ねじれ状況により、内外にわたる重要政策について迅速な政治決定が困難になっている。新テロ特措法を巡る迷走は、その象徴である。
<中略>
危機の財政、社会保障
財政上の見通しがつかない中で、政府は社会保障関係費の伸びを切り詰めてきた。だが、そうした手法を重ねた結果、年金制度の将来不安だけではなく、医療、介護などに至るまで“システム崩壊の危機”といった声が上がっている。
こうした窮状を打開するには、国民全体が広く薄く負担を分かち合う消費税の税率を引き上げる以外に、現実的な財政収入増の方途はない。実は、そのことを与野党ともよく知っているはずだ。それなのに改革をためらっている。
ドイツでは、現メルケル首相率いるキリスト教民主同盟が消費税(付加価値税)率引き上げを公約に掲げながら選挙で勝利したという近例がある。だれしも増税がうれしいわけはないが、ドイツ国民はそれが必要なことを理解した。
強い政治的意思を示せ
日本国民も、その必要性、それによる福祉の将来像などを丹念に説明すれば、理解できないはずはない。
福田政権が当面なすべきことは、内外に強い政治意思を示すことである。
新テロ特措法案に限らず、外交上、財政上、あるいは国民生活上必要な政策・法案は、憲法に定められる「3分の2」再可決条項を適用して、遅滞なく次々と断行していくべきである。
野党の問責決議を恐れる理由は、まったくない。「3分の2」再可決は憲法に明記されているルールだが、問責決議などは、憲法にも国会法にもまったく根拠のない性格のものだ。内閣不信任決議とは、およそ重みが違う。
衆院の任期は、あと2年近くある。解散・総選挙を急ぐ必要はない。
もちろん、政策・法律の断行に際しては、国民に対する丁寧な説明を怠ってはならない。
【年頭に】論説委員長・千野境子 “危機の20年”へ備えと覚悟 (1/1 産経)
危機の時代は歴史の上ではめずらしくない。第一次大戦後から第二次大戦に至る20年の危機の時代を考察した『危機の二十年』の中で、英国の外交官、E・H・カーはそう書いている。後世の史家は平成の20年もまた、危機の時代と位置づけるのではあるまいか。
<中略>
世界を見渡せば、政治の新しいアクター、すなわち一国の指導者が続々と誕生しつつある。2月に就任する韓国の李明博次期大統領は10年ぶりの保守派だ。3月にはロシアと台湾でも新指導者が決まる。そしてハイライトは11月の米大統領選挙だ。民主、共和党のいずれが勝利するにしても、確実なことはブッシュ時代が終わるということである。
はや後継体制を固めた中国や首脳交代を終えた英仏なども加えれば、今年、世界の指導者の主な顔ぶれはほぼ一新される。ポスト冷戦の国際秩序に大きな転換が予感されるのである。
翻って日本はどうだろう。福田康夫首相も確かに新顔である。だがその新しさとは、世界の潮流に沿ったものであろうか。背を向けたものではないか。残念ながら、そのような危惧(きぐ)と疑念を拭(ぬぐ)い去ることができない。野党や世論・メディアにも責任の一端はあるが、新テロ特措法案を筆頭に、あまりにも多くの懸案が先送りされてしまった。
<中略>
国民総生産(GNP)よりGNH。小国は小国らしく。それは、やむにやまれぬブータン流「覚悟の国家戦略」とも言えるのだが、経済的に豊かでも幸せを実感できない勝ち組先進国から、ブータンの政策立案者に講演依頼などが相次ぐ状況は、極めて示唆的である。
日本もいまこそ「覚悟の国家戦略」が必要だ。政治に経済に社会に課題は多いが、急ぐべき最優先のそれはブッシュ後に備えた対米関係の構築であろう。
渡辺靖慶応大学教授はアメリカ社会を考察した『アフター・アメリカ』で、民主主義の乱用や己の力への思い入れと過剰な誇り、若さゆえの性急さなど米社会の特質が、自らにも困難をもたらすだろうとの懸念を記した仏人アレクシス・ド・トクヴィルの手紙を紹介している。
『アメリカの民主主義』で日本でもよく知られるトクヴィルの約160年も前の考察の今日性に驚かされる。次期大統領がどの党で、誰になるかを問わず、日本はこのようなアメリカと予見し得る将来も同盟の相手であり続ける。
日米同盟は2国間を超え、アジア太平洋に真に必要な国際公共財として深化させるべきだ。そしてこの20年が文字通り“危機の20年”とならないよう、細心の準備を始めたいものである。
危機の時代は歴史の上ではめずらしくない。第一次大戦後から第二次大戦に至る20年の危機の時代を考察した『危機の二十年』の中で、英国の外交官、E・H・カーはそう書いている。後世の史家は平成の20年もまた、危機の時代と位置づけるのではあるまいか。
<中略>
世界を見渡せば、政治の新しいアクター、すなわち一国の指導者が続々と誕生しつつある。2月に就任する韓国の李明博次期大統領は10年ぶりの保守派だ。3月にはロシアと台湾でも新指導者が決まる。そしてハイライトは11月の米大統領選挙だ。民主、共和党のいずれが勝利するにしても、確実なことはブッシュ時代が終わるということである。
はや後継体制を固めた中国や首脳交代を終えた英仏なども加えれば、今年、世界の指導者の主な顔ぶれはほぼ一新される。ポスト冷戦の国際秩序に大きな転換が予感されるのである。
翻って日本はどうだろう。福田康夫首相も確かに新顔である。だがその新しさとは、世界の潮流に沿ったものであろうか。背を向けたものではないか。残念ながら、そのような危惧(きぐ)と疑念を拭(ぬぐ)い去ることができない。野党や世論・メディアにも責任の一端はあるが、新テロ特措法案を筆頭に、あまりにも多くの懸案が先送りされてしまった。
<中略>
国民総生産(GNP)よりGNH。小国は小国らしく。それは、やむにやまれぬブータン流「覚悟の国家戦略」とも言えるのだが、経済的に豊かでも幸せを実感できない勝ち組先進国から、ブータンの政策立案者に講演依頼などが相次ぐ状況は、極めて示唆的である。
日本もいまこそ「覚悟の国家戦略」が必要だ。政治に経済に社会に課題は多いが、急ぐべき最優先のそれはブッシュ後に備えた対米関係の構築であろう。
渡辺靖慶応大学教授はアメリカ社会を考察した『アフター・アメリカ』で、民主主義の乱用や己の力への思い入れと過剰な誇り、若さゆえの性急さなど米社会の特質が、自らにも困難をもたらすだろうとの懸念を記した仏人アレクシス・ド・トクヴィルの手紙を紹介している。
『アメリカの民主主義』で日本でもよく知られるトクヴィルの約160年も前の考察の今日性に驚かされる。次期大統領がどの党で、誰になるかを問わず、日本はこのようなアメリカと予見し得る将来も同盟の相手であり続ける。
日米同盟は2国間を超え、アジア太平洋に真に必要な国際公共財として深化させるべきだ。そしてこの20年が文字通り“危機の20年”とならないよう、細心の準備を始めたいものである。
読売の社説には、「2050年の経済大国」という 7カ国のGDPの棒グラフがついています。中国、米国、インドがベスト 3で、日本が 4位、ロシアが 7位というのは意外な感じがします。ただし、上位の 3カ国がダントツで、3位以下はガクンと下がって(3位の1/4以下)ドンクリの背比べです。
経済力を国力の評価とし、成長が著しく40年後にGDPが世界一になる中国への対応は、各国共に重要課題としています。各国の企業は、国内需要よりも伸びの大きいBRICsへの進出や輸出で成長を図るしかないわけで、安定した国交が求められることから、そのような傾向が生まれざるをえません。
ただ、それを逆手に覇権を拡大しようとするのが中国とロシアですね。
軍事力を拡大し、米国に肩を並べることで、これまでの米国同様発言力を強め、米国の一人舞台をに割り込もうとしています。さらに中国は、有り余る人口(登録人口は少子高齢化と言われますが)を、世界の各国に配布し、武力の他の経済進出(投資や買収)や、多数決の獲得(ロスに傀儡議員を当選させる。日本で反日団体の支援する政党によるねじれ現象をうまさせ、外国人投票権を認めさせ多数決で外国人による政治を実現させる)による覇権拡大も進めています。
覇権拡大の手を抑止するには、国防力を自前で持つことやその活動に制限がある今の日本には、日米同盟を基軸にしていくしかないということです。
勿論、米国一辺倒ではなく、もう一つの同盟国のオーストラリア(政権交代で見通しがつかなくなりましたが)や、アジアの各国とも絆を深めることは重要ですが、米国や他の国々も含め、応分の各種対応が必要となります。
世界の主要国の動きに対する日本の現状については、産経が単刀直入で判りやすいです。
今日の日本の閉塞感や衰退感から、現状を幕末に例えてた話を書かれていますが、明治維新のリーダーたる政治家たちには退路を断つ「覚悟の国家戦略」があったとし、幕末の意識があるということは、そのような政治家が出てくると期待されています。福田、小沢では駄目ですが、是非出てきて欲しいのですが、誰だろう...?
平成20年は、日本の国際的な指導力が試されるとし、先進国と途上国の対立をいかに協調へと導くか、議長国日本が手腕を示す千載一遇のチャンスであると言う点は、フォーカスに違いはありますが、日経と同じ日本のリーダーシップ回復への着眼です。
成長が著しい各国の国益むきだしの資源あさりや、野放図な経済活動について、ブータン王国の国家戦略に触れています。
企業の成長を遂げるには、BRICs、とりわけ現状では中国との取り組みを重視することにならざるを得ないと、前述しました。
ブータンでは、日本同様あるいはそれ以上に鶴を神格化して大事にしているのだそうです。ポブジカ村では、「電線を引けば、ツルの飛行の邪魔になり、ツルが渡ってこなくなる」と心配した村人たちが、電気のない生活を受け入れ電線のない生活をしているのだそうです。
更に、村の特産品のイモを森に住む野生動物から護るため、主燃料として使っていた森の木を切る薪を止め、家々の屋根にソーラシステムを付けているのだそうです。
上記、産経の転載のなかの「ブータン流「覚悟の国家戦略」とは、そのようなことなのです。
インドにイモを勝って貰うという経済成長(?)活動はしても、得た富をその基となる自然に還元し循環させる。小国だからと片づけられない原理が見えるような気がします。
産経も、日米同盟をアジア・太平洋地域に広く活かせるべきと結んでいます。
日米同盟は、こんにまでの日本の安全を護ってくれ、侵略への抑止力としても一定の成果(竹島には無力)はあげました。
しかし、おんぶにだっこでした。そのおかげで、経済成長に専念してきました。が、それはもうそろそろ変わらざるを得ないような情勢にさしかかってきたのでは?
日本は独立した、世界でもリーダー格の国のはずです。それが、お金を搾り取るためのおべっかでなく、名実共に認知されるには、どうすべきなのでしょう。
ひとつは、2紙が提案している、洞爺湖サミットの議長国の役割を達成することです。
もうひとつは、日米同盟の、同盟国の責任と義務を果たせるパートナーとしての行動を実行することです。そして、この強固な同盟を軸に、アジアや世界の平和に貢献することだと考えます。
↓ よろしかったら、お願いします。