ロシアが戦後のドサクサで、平和条約を一方的に破棄して不法占拠している北方四島の返還と平和条約締結の交渉について、ゼロ島返還の姿勢を示すに至っていましたが、領土問題を盛り込まない形で無条件の条約締結を求めていることを、谷内正太郎前国家安全保障局長が明らかにしたのだそうです。
まず領土について何も書いていない平和条約を結んで、その上で領土問題を議論しようという2段階論。
他に、(1)第二次大戦の結果として北方領土が正式にロシア領になったと日本が認める、(2)日本に駐留する全ての外国軍隊の撤退を要求。
完全に過去の交渉経緯や、日ソ共同宣言を無視する話です。
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北方領土交渉経緯
■日ソ共同宣言
1956年10月19日 鳩山首相とソ連のブルガーニン首相がモスクワで署名
北方領土問題は、まず国交回復を先行させ、平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を引き渡すという前提で、改めて平和条約の交渉を行うという合意
■日ソ共同声明(1991年)
1991年4月海部総理とゴルバチョフ大統領により署名された。
北方四島が、平和条約において解決されるべき領土問題の対象であることが初めて確認された。
日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す。
■東京宣言(1993年)
1993年10月、細川総理とエリツィン大統領により署名された。
領土問題を、北方四島の島名を列挙して、その帰属に関する問題と位置づけるとともに、領土問題解決のための交渉指針が示された。
また、日ソ間のすべての国際約束が、日露間で引き続き適用されることを確認した。
■クラスノヤルスク合意(1997年)
1997年11月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで一致。
■川奈合意(1998年)
1998年4月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、平和条約に関し、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けた日露の友好協力に関する原則等を盛り込むことで一致。
■イルクーツク声明(2001年)
2001年3月、森総理とプーチン大統領により署名された。
日ソ共同宣言が交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結すべきことを再確認した。
■日露行動計画(2003年)
2003年1月、小泉総理とプーチン大統領により採択された。日ソ共同宣言、東京宣言、イルクーツク声明及びその他の諸合意が、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化することを目的とした交渉における基礎と認識し、交渉を加速することを確認した。
■プーチン来日 過去を否定 (2005年11月)
「 プーチン来日で惨敗の日本外交 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
■山口での首脳会談(2016年12月15日)
北方4島で「特別な制度」の下での共同経済活動実現へ協議。
■ロシア極東ウラジオストクでの東方経済フォーラム (2018年9月)
檀上で、プーチン大統領が突如平和条約交渉先行を呼びかけ。
■シンガポールでの首脳会談(2018年11月14日)
1956年の日ソ共同宣言を基礎に、平和条約交渉を加速。
■ドイツ・ミュンヘンでの日露外相会談 (2019年2月17日未明)
ラブロフ外相は、第2次世界大戦の正当な結果として北方領土がロシア領になったと認めるよう改めて強調。「日本が、4島を含む全てのクリル諸島(千島列島)の主権をロシアが有することなど、第2次世界大戦の結果を認めることが不可欠だ」と述べ、ゼロ島を主張。
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不法占拠されている北方領土の返還が見込めない平和条約の締結や、経済支援投資は、日本や住民の方々にとってはなんのメリットもなく、日本側でも願い下げですね。
谷内氏も今後について、「なかなか展望は開けない。何らかの前進を見るためにほかにやることがあるのかというと、ない」と断言されたとか。
欧米が制裁網敷くなかで、G7でも日本だけが制裁に参加してきませんでしたが、ここまでコケにされては、平和条約締結も北方領土交渉も棚上げとして、日本も欧米と歩調を合わせて、制裁網参画すべきですね。
過去の交渉経緯で、四島返還実現に最接近した「川奈合意(1998年)」。
今も台所が火の車のロシア。
中国共産党の産みの親でしたが、GDPでは大きく逆転され、人口圧力で国境を侵されるに至っています。
せっかく開通した天然ガスの料金も、中国にダンピングされ泣き寝入り状態。
プーチン氏が、院政を確立するまで、日露の交渉は凍結し、様子を見るしかないですね。
プーチン大統領が突然の改憲 院政のための布陣 - 遊爺雑記帳
# 冒頭の画像は、日露間の条約としては最新の「ポーツマス条約」時(1905年)の日本領
この花の名前は、キクザキリュウキンカ
2月 7日は、「北方領土の日」です
政府広報(北方領土問題) - YouTube
↓よろしかったら、お願いします。
谷内前国家安全保障局長「ロシアは無条件締結要求」平和条約交渉で - 産経ニュース 2020.1.24
谷内正太郎前国家安全保障局長は24日のBSフジ番組で、ロシアとの北方領土問題を含む平和条約締結交渉に関し、ロシア側が領土問題を盛り込まない形で無条件の条約締結を求めていると明らかにした。締結後に領土問題を協議する2段階論を主張していると説明した。谷内氏は昨年9月に退任するまで対露交渉に携わっていた。
谷内氏はロシア側の主張について「まず領土について何も書いていない平和条約を結んで、その上で領土問題を議論しようという2段階論だ」と説明。ほかに(1)第二次大戦の結果として北方領土が正式にロシア領になったと日本が認める(2)日本に駐留する全ての外国軍隊の撤退-を要求していると述べた。
その上で今後の交渉について「なかなか展望は開けない。何らかの前進を見るためにほかにやることがあるのかというと、ない」と断言した。
谷内正太郎前国家安全保障局長は24日のBSフジ番組で、ロシアとの北方領土問題を含む平和条約締結交渉に関し、ロシア側が領土問題を盛り込まない形で無条件の条約締結を求めていると明らかにした。締結後に領土問題を協議する2段階論を主張していると説明した。谷内氏は昨年9月に退任するまで対露交渉に携わっていた。
谷内氏はロシア側の主張について「まず領土について何も書いていない平和条約を結んで、その上で領土問題を議論しようという2段階論だ」と説明。ほかに(1)第二次大戦の結果として北方領土が正式にロシア領になったと日本が認める(2)日本に駐留する全ての外国軍隊の撤退-を要求していると述べた。
その上で今後の交渉について「なかなか展望は開けない。何らかの前進を見るためにほかにやることがあるのかというと、ない」と断言した。
まず領土について何も書いていない平和条約を結んで、その上で領土問題を議論しようという2段階論。
他に、(1)第二次大戦の結果として北方領土が正式にロシア領になったと日本が認める、(2)日本に駐留する全ての外国軍隊の撤退を要求。
完全に過去の交渉経緯や、日ソ共同宣言を無視する話です。
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北方領土交渉経緯
■日ソ共同宣言
1956年10月19日 鳩山首相とソ連のブルガーニン首相がモスクワで署名
北方領土問題は、まず国交回復を先行させ、平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を引き渡すという前提で、改めて平和条約の交渉を行うという合意
■日ソ共同声明(1991年)
1991年4月海部総理とゴルバチョフ大統領により署名された。
北方四島が、平和条約において解決されるべき領土問題の対象であることが初めて確認された。
日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す。
■東京宣言(1993年)
1993年10月、細川総理とエリツィン大統領により署名された。
領土問題を、北方四島の島名を列挙して、その帰属に関する問題と位置づけるとともに、領土問題解決のための交渉指針が示された。
また、日ソ間のすべての国際約束が、日露間で引き続き適用されることを確認した。
■クラスノヤルスク合意(1997年)
1997年11月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで一致。
■川奈合意(1998年)
1998年4月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、平和条約に関し、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けた日露の友好協力に関する原則等を盛り込むことで一致。
■イルクーツク声明(2001年)
2001年3月、森総理とプーチン大統領により署名された。
日ソ共同宣言が交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結すべきことを再確認した。
■日露行動計画(2003年)
2003年1月、小泉総理とプーチン大統領により採択された。日ソ共同宣言、東京宣言、イルクーツク声明及びその他の諸合意が、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化することを目的とした交渉における基礎と認識し、交渉を加速することを確認した。
■プーチン来日 過去を否定 (2005年11月)
「 プーチン来日で惨敗の日本外交 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
■山口での首脳会談(2016年12月15日)
北方4島で「特別な制度」の下での共同経済活動実現へ協議。
■ロシア極東ウラジオストクでの東方経済フォーラム (2018年9月)
檀上で、プーチン大統領が突如平和条約交渉先行を呼びかけ。
■シンガポールでの首脳会談(2018年11月14日)
1956年の日ソ共同宣言を基礎に、平和条約交渉を加速。
■ドイツ・ミュンヘンでの日露外相会談 (2019年2月17日未明)
ラブロフ外相は、第2次世界大戦の正当な結果として北方領土がロシア領になったと認めるよう改めて強調。「日本が、4島を含む全てのクリル諸島(千島列島)の主権をロシアが有することなど、第2次世界大戦の結果を認めることが不可欠だ」と述べ、ゼロ島を主張。
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不法占拠されている北方領土の返還が見込めない平和条約の締結や、経済支援投資は、日本や住民の方々にとってはなんのメリットもなく、日本側でも願い下げですね。
谷内氏も今後について、「なかなか展望は開けない。何らかの前進を見るためにほかにやることがあるのかというと、ない」と断言されたとか。
欧米が制裁網敷くなかで、G7でも日本だけが制裁に参加してきませんでしたが、ここまでコケにされては、平和条約締結も北方領土交渉も棚上げとして、日本も欧米と歩調を合わせて、制裁網参画すべきですね。
過去の交渉経緯で、四島返還実現に最接近した「川奈合意(1998年)」。
今も台所が火の車のロシア。
中国共産党の産みの親でしたが、GDPでは大きく逆転され、人口圧力で国境を侵されるに至っています。
せっかく開通した天然ガスの料金も、中国にダンピングされ泣き寝入り状態。
プーチン氏が、院政を確立するまで、日露の交渉は凍結し、様子を見るしかないですね。
プーチン大統領が突然の改憲 院政のための布陣 - 遊爺雑記帳
# 冒頭の画像は、日露間の条約としては最新の「ポーツマス条約」時(1905年)の日本領
この花の名前は、キクザキリュウキンカ
2月 7日は、「北方領土の日」です
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