新型コロナ感染の波が高まった中での新しい年のスタートとなりました。
毎年の恒例としている、主要5紙の年の初めの「社説」読み比べです。
前向きに各方面についてバランスよく論じているのは、読売。日経は、そつなくといった印象ですが、そのぶん訴えを欠き、響いてこない。朝日は後ろ向きで支離滅裂。毎日が民主主義の旗手である米国が新型コロナ感染の最悪国となり、中国が持ち前の強権政治により感染拡大を早々に抑え込んでみせた点に着目・対比して論じている点は注目されました。
米中の「新冷戦時代」に突入し、トランプ氏が優勢に展開していましたが、左派・社会主義勢力が主導権を握ると言われ、チャイナゲート問題を抱えるバイデン新政権が誕生する今年。トランプ政権下で築かれつつあった対中包囲網は、世界の歴史の転換点となりそうな今年に着目したものです。
そうした中で、中国に焦点を絞った産経に最も魅かれましたので、取り上げさせていただきました。
平和で活力ある社会築きたい : 社説 : 読売新聞オンライン
[社説]2021年を再起動の年にしよう: 日本経済新聞
(社説)核・気候・コロナ 文明への問いの波頭に立つ:朝日新聞デジタル
社説:臨む’21 コロナ下の民主政治 再生の可能性にかける時 - 毎日新聞
乾氏は触れておられませんが、尖閣諸島を実効支配する為に、「海警」らよる日本の領海を含む近海への定期侵入をエスカレートし、昨年秋には、勝手に決めている漁期が明けるとか言って、大漁船団の襲来を予告していました。
日本の実効支配実績策の推進論が高まりましたが、大漁船団の襲来はなく、実効支配実績推進策も、喉元すぎればなんとやら、すっかり聞こえなくなってしまっています。
戦時中は軍部が、戦後は外務省が、日本は瀕死の中国共産党を救ったのです。
「天安門事件」で世界が制裁網を敷く中、天皇陛下の政治利用までして、その包囲網に風穴を開け、包囲網を崩した日本。
今また、米中が主導する「新冷戦時代」に突入し、世界の包囲網に欧州勢も重い腰を上げるなかで、習近平の国賓招致という、天皇陛下の政治利用を再び犯してその包囲網を崩す罠に陥ることをあきらめない自民党・二階幹事長。
3度目の過ちは、日本が世界の孤児に堕ちる歴史的失政となります。
トランプ政権からバイデン政権に変わり、「新冷戦」の行方はどうなるのか。
自由主義を尊重する国々と中国とで新たな歴史的転換が予感される世界情勢。菅内閣には一層の奮起と、脱二階を期待します。
# 冒頭の画像は、日本漁船を追尾する「海警」から漁船を護る海保の巡視船
この花の名前は、カンザキハナナ
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毎年の恒例としている、主要5紙の年の初めの「社説」読み比べです。
前向きに各方面についてバランスよく論じているのは、読売。日経は、そつなくといった印象ですが、そのぶん訴えを欠き、響いてこない。朝日は後ろ向きで支離滅裂。毎日が民主主義の旗手である米国が新型コロナ感染の最悪国となり、中国が持ち前の強権政治により感染拡大を早々に抑え込んでみせた点に着目・対比して論じている点は注目されました。
米中の「新冷戦時代」に突入し、トランプ氏が優勢に展開していましたが、左派・社会主義勢力が主導権を握ると言われ、チャイナゲート問題を抱えるバイデン新政権が誕生する今年。トランプ政権下で築かれつつあった対中包囲網は、世界の歴史の転換点となりそうな今年に着目したものです。
そうした中で、中国に焦点を絞った産経に最も魅かれましたので、取り上げさせていただきました。
平和で活力ある社会築きたい : 社説 : 読売新聞オンライン
[社説]2021年を再起動の年にしよう: 日本経済新聞
(社説)核・気候・コロナ 文明への問いの波頭に立つ:朝日新聞デジタル
社説:臨む’21 コロナ下の民主政治 再生の可能性にかける時 - 毎日新聞
【年のはじめに】中国共産党をもう助けるな 論説委員長・乾正人 - 産経ニュース 2021.1.1
新年早々、くだらぬ話で恐縮だが、私はかなり濃厚な「親中派」だった。
40年前、大学受験で選択した外国語は中国語だった。NHKラジオの中国語講座を熱心に聞き、元共産党員が先生をしていた市民講座に通った成果を誇示したいという若気の至りからである(英語が苦手だったからでもあるが)。
当時、そんなばかげたことをした高校生はほとんどいなかったが、市民講座で配られた質素なテキストに載っていた「赤脚医生(最低限の医療知識で農村を巡回した医者。文化大革命時に毛沢東が奨励した)」の話は、今でも覚えている。
■私は「親中派」だった
いずれ中国は米国と肩を並べる大国になり、中国語をマスターすれば何かと得だ、という打算もあったが、幼稚な高校生の夢想をはるかに上回るスピードで中国は発展した。自由と民主主義とは無縁のディストピア(理想郷と対極の世界)になろうとは、想像だにしなかったが。
夢想から目覚めさせてくれたのは、平成元年6月4日に起きた天安門事件である。中国共産党は、軍を出動させ、自由を求める市民や学生に容赦なく銃弾を撃ち込み、鎮圧した。犠牲者数はいまだ正確にはわかっていない。私は当時、就任間もない宇野宗佑首相の番記者として、一挙手一投足を追っていたが、事件について何も発信しない彼に大いに失望した。「この人は総理大臣に向いていない」と日記に書いた。
それどころか、事件当日に外務省は、西側諸国が共同して制裁措置をとることに反対する文書を作成していたことが、先月公表された外交文書で明らかになった。7月に開かれたアルシュ・サミットでも日本は一貫して制裁を緩やかにしようと立ち回っていた実態も明確になった。
ベルリンの壁が崩壊した後、東側諸国が次々とソ連のくびきから離れ、ソ連共産党の一党独裁が終焉(しゅうえん)を迎えてから今年で30年。
天安門事件を引き金として中国共産党による一党独裁体制が崩れていたとしても、何の不思議もなかった。そんな瀕死(ひんし)の共産党を救ったのが、日本だったのである。
「中国を孤立化させてはいけない」を大義名分に、いちはやく経済協力を再開したのも日本だった。
■歴史は繰り返すのか
日本は戦時中も中国共産党を救っている。生前、毛沢東は訪中した日本の要人が「日本軍が中国を侵略して申し訳なかった」と判で押したように謝ったのに対し、いつもこのように答えたという。
「申し訳ないことはない。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。皇軍がいなければ、われわれは政権を奪えなかった」
少し説明が必要だろう。蒋介石率いる国民党軍に敗走し、延安まで落ちのびた毛沢東が息を吹き返したのは、日本軍が昭和12年に国民党軍と全面戦争に突入し、蒋介石が国共合作に踏み切らざるを得なかったからだ。敗走に次ぐ敗走で2万5千人まで減っていた共産党軍は、8年後の終戦時には120万人にまで膨れあがり、後の国共内戦に打ち勝ったのである。ことに共産党軍に引き渡された日本軍の近代兵器が勝敗の帰趨(きすう)を左右したとの説もある。つまり、戦時中は軍部が、戦後は外務省が「中国共産党を助けた」のである。
新型コロナウイルスによって世界は一変したが、中国・武漢で最初の感染爆発が起きた際、当局による情報隠蔽(いんぺい)が、パンデミック(世界的大流行)の引き金を引いたことを忘れてはならない。
すべての個人情報を国家が管理し、自由を求める「危険人物」を容赦なく監獄や収容所にぶち込む。チベットやウイグルでの弾圧が、香港でも公然と行われ始めた現実から日本政府も国会も目を背けている。
いま再び、中国は西側諸国の「反中同盟」を切り崩そうと日本を懐柔しようとしている。手始めが、習近平国家主席の国賓来日実現だ。
日本は、瀕死の中国共産党を2度助けた。3度目は、絶対にあってはならない。もし習近平来日に賛成する政治家や官僚がいれば、それはまさしく「国賊」である。「親中派」の私が書くのだから間違いない。
新年早々、くだらぬ話で恐縮だが、私はかなり濃厚な「親中派」だった。
40年前、大学受験で選択した外国語は中国語だった。NHKラジオの中国語講座を熱心に聞き、元共産党員が先生をしていた市民講座に通った成果を誇示したいという若気の至りからである(英語が苦手だったからでもあるが)。
当時、そんなばかげたことをした高校生はほとんどいなかったが、市民講座で配られた質素なテキストに載っていた「赤脚医生(最低限の医療知識で農村を巡回した医者。文化大革命時に毛沢東が奨励した)」の話は、今でも覚えている。
■私は「親中派」だった
いずれ中国は米国と肩を並べる大国になり、中国語をマスターすれば何かと得だ、という打算もあったが、幼稚な高校生の夢想をはるかに上回るスピードで中国は発展した。自由と民主主義とは無縁のディストピア(理想郷と対極の世界)になろうとは、想像だにしなかったが。
夢想から目覚めさせてくれたのは、平成元年6月4日に起きた天安門事件である。中国共産党は、軍を出動させ、自由を求める市民や学生に容赦なく銃弾を撃ち込み、鎮圧した。犠牲者数はいまだ正確にはわかっていない。私は当時、就任間もない宇野宗佑首相の番記者として、一挙手一投足を追っていたが、事件について何も発信しない彼に大いに失望した。「この人は総理大臣に向いていない」と日記に書いた。
それどころか、事件当日に外務省は、西側諸国が共同して制裁措置をとることに反対する文書を作成していたことが、先月公表された外交文書で明らかになった。7月に開かれたアルシュ・サミットでも日本は一貫して制裁を緩やかにしようと立ち回っていた実態も明確になった。
ベルリンの壁が崩壊した後、東側諸国が次々とソ連のくびきから離れ、ソ連共産党の一党独裁が終焉(しゅうえん)を迎えてから今年で30年。
天安門事件を引き金として中国共産党による一党独裁体制が崩れていたとしても、何の不思議もなかった。そんな瀕死(ひんし)の共産党を救ったのが、日本だったのである。
「中国を孤立化させてはいけない」を大義名分に、いちはやく経済協力を再開したのも日本だった。
■歴史は繰り返すのか
日本は戦時中も中国共産党を救っている。生前、毛沢東は訪中した日本の要人が「日本軍が中国を侵略して申し訳なかった」と判で押したように謝ったのに対し、いつもこのように答えたという。
「申し訳ないことはない。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。皇軍がいなければ、われわれは政権を奪えなかった」
少し説明が必要だろう。蒋介石率いる国民党軍に敗走し、延安まで落ちのびた毛沢東が息を吹き返したのは、日本軍が昭和12年に国民党軍と全面戦争に突入し、蒋介石が国共合作に踏み切らざるを得なかったからだ。敗走に次ぐ敗走で2万5千人まで減っていた共産党軍は、8年後の終戦時には120万人にまで膨れあがり、後の国共内戦に打ち勝ったのである。ことに共産党軍に引き渡された日本軍の近代兵器が勝敗の帰趨(きすう)を左右したとの説もある。つまり、戦時中は軍部が、戦後は外務省が「中国共産党を助けた」のである。
新型コロナウイルスによって世界は一変したが、中国・武漢で最初の感染爆発が起きた際、当局による情報隠蔽(いんぺい)が、パンデミック(世界的大流行)の引き金を引いたことを忘れてはならない。
すべての個人情報を国家が管理し、自由を求める「危険人物」を容赦なく監獄や収容所にぶち込む。チベットやウイグルでの弾圧が、香港でも公然と行われ始めた現実から日本政府も国会も目を背けている。
いま再び、中国は西側諸国の「反中同盟」を切り崩そうと日本を懐柔しようとしている。手始めが、習近平国家主席の国賓来日実現だ。
日本は、瀕死の中国共産党を2度助けた。3度目は、絶対にあってはならない。もし習近平来日に賛成する政治家や官僚がいれば、それはまさしく「国賊」である。「親中派」の私が書くのだから間違いない。
乾氏は触れておられませんが、尖閣諸島を実効支配する為に、「海警」らよる日本の領海を含む近海への定期侵入をエスカレートし、昨年秋には、勝手に決めている漁期が明けるとか言って、大漁船団の襲来を予告していました。
日本の実効支配実績策の推進論が高まりましたが、大漁船団の襲来はなく、実効支配実績推進策も、喉元すぎればなんとやら、すっかり聞こえなくなってしまっています。
戦時中は軍部が、戦後は外務省が、日本は瀕死の中国共産党を救ったのです。
「天安門事件」で世界が制裁網を敷く中、天皇陛下の政治利用までして、その包囲網に風穴を開け、包囲網を崩した日本。
今また、米中が主導する「新冷戦時代」に突入し、世界の包囲網に欧州勢も重い腰を上げるなかで、習近平の国賓招致という、天皇陛下の政治利用を再び犯してその包囲網を崩す罠に陥ることをあきらめない自民党・二階幹事長。
3度目の過ちは、日本が世界の孤児に堕ちる歴史的失政となります。
トランプ政権からバイデン政権に変わり、「新冷戦」の行方はどうなるのか。
自由主義を尊重する国々と中国とで新たな歴史的転換が予感される世界情勢。菅内閣には一層の奮起と、脱二階を期待します。
# 冒頭の画像は、日本漁船を追尾する「海警」から漁船を護る海保の巡視船
この花の名前は、カンザキハナナ
↓よろしかったら、お願いします。