中国共産党大会の閉会式で、記者団への公開が始まったと同時に起きた、胡錦涛前主席の退席強制劇。
種々の推測がなされていますが、日経編集委員の中沢氏の解説記事があります。
「中南海」の奥深くで秘密裏に繰り広げられる宮廷政治劇が、はからずも外国人記者のカメラが回る目の前で起きてしまった。共産党総書記の習近平(シー・ジンピン、69)は、怒り心頭だろうと、中沢氏。
宮廷政治劇の主演は、前共産党総書記の胡錦濤。
習は脇役にすぎない。習は究極の権力集中である極権を手にしたものの、前任の長老を「体調不良」という理由で第20回共産党大会の閉幕式から途中退席させるしかなかったと。
「(閉会式の)あの日は(人民大会堂のひな壇に座る要人らの)誰もが示し合わせたように、健康が優れない胡錦濤と目を合わせないようにしていたんだ。すれ違いざまに目が合えば、『聞きたくない話』に付き合わされ、自分が政治的に危うくなる」
との、中国政治の奥深さを知る人物談。
「聞きたくない話」とは、ずばり習近平への不満もにじむ胡錦濤の本音の嘆きだと、中沢氏。
習が全権力を握った今、長老と話すのさえ危険な行為になった。だから誰もが胡錦濤を避け、身体が弱っている長老への気遣いもなく冷たい態度をとると。
そもそも長老は公の場で気ままに発言できず、内輪でも現トップの権威を傷付けないよう振る舞うものだ。
ところが、そのあり得ないことが起きそうだった。まれにみる異様な宮廷政治劇を読み解くキーワードは「体調」と「本音トーク」だ。胡錦濤は確かに体調不良だった。だが、不良だからこそ遠慮のない本音の嘆きが出ることもある。
少なくとも、あの場にいた面々は、後に国営通信の新華社が英語版公式ツイッターで「胡錦濤は体調が優れなかった」と説明した本当の意味を知っていた。ストレートに「本音トーク」をしかねない危うい状態であると。
極めてわかりにくい大事な「スクープ」があったと、中沢氏。
新華社の英語版ツイッターの2つ目。「胡錦濤は党大会閉幕式への出席を主張していました。最近、健康回復に時間がかかっていたにもかかわらず……」と明記していると中沢氏。
閉会式に出席したいというのは、長老たっての希望だったのだ。新華社の説明には、健康上、出るべきではなかったし、習の意向に反して出席してしまったという含意がある。もう一歩、深読みすると、胡錦濤は閉会式への出席という行為そのもので何かを伝えたかったという示唆にもみえると。
そういわれてみると、江沢民は欠席でしたね。
真相はやぶの中とはいえ、ひとつだけ確かなことがある。勝ち誇る習の隣に座った胡錦濤が、自らのふがいなさを嘆き、いたたまれない心境だったことだ。長老らが持つ赤い書類ばさみの中の紙には、胡錦濤がみるのもいやな名簿が入っていたと、中沢氏。
内容は、長く自分を支えてくれたかわいい弟分李克強(リー・クォーチャン、67)が最高指導部から丸裸状態で退任し、中央委員にも残らなかった。丹精込めて自分が育て上げた共産主義青年団(共青団)と縁が深い改革派、汪洋(ワン・ヤン、67)の運命も軌を一にしていた。
そして次の日には、子飼いの副首相、胡春華も最高指導部入りできないばかりか、59歳という若さにもかかわらず政治局から追い出される。共青団の真のホープといわれた好男子の哀れを誘う末路。
かわいい子分の胡春華さえ、自分は守れなかった。
長老は翌日、起きる共青団派にとってのさらなる悲劇を知っていた。このままでは組織が弱体化し、7千万人を超す共青団員は路頭に迷う。軍団の崩壊である。
胡錦涛は、一時退席を拒み、2回も席に戻るしぐさをみせた。新華社が説明した強い意志からしても、この時点で会場から去るのは長老の意思ではなかった。
習と言葉を交わした後、李克強の肩をポンとたたいて歩き出した長老は、完全に正気に見えた。肩をたたいたのは、退任に追い込まれた李克強のやるせない心情を思いやる真心からの慰労の表現だろうと、中沢氏。
不思議なのは非公開だった本会議場に外国メディアが入ることを許された直後に「胡錦濤劇場」が始まったタイミングだ。偶然にしてはできすぎで、会場内の雰囲気は長く凍り付いたままだったと。
そこに本人の「未必の故意」を感じとることもできる。おそらく世界にドタバタ劇の映像が流れる。万一、習の「晴れ舞台」に泥を塗る被害が出たとしても仕方がない。そんな深層心理だ。自らの大会出席はこれが最後という覚悟の行動にもみえると。
退場を強いられる胡錦濤が言葉をかけた際の習の態度はあまりに冷たく、つれなかった。
この非礼さは「未必の故意」を感じとった習の意趣返しなのかと、中沢氏。
政治局委員にさえ残れないことを予感していた胡春華は、胡錦濤の退場時、終始、腕組みをしながら渋い顔をしていた。異様な雰囲気だ。そして閉会式後の別部屋でのセレモニーのとき、あいさつに回ってきた習の前では作り笑いをしながら拍手もした。気丈であると。
今回の習の最高指導部人事での驚くべき完勝は、胡錦濤の長年の体調不良も絡む政治力の衰えの結果である。
習はそこを鋭く突いた。胡錦濤は何ら効果的な防御策をとれず、李克強も首相の職務にまい進するばかりで、政治的な動きは封じられた。共青団派は一方的にたたかれ続け、最後に指導部から一掃されてしまった。
大会での党人事については、事前の北戴河会議で長老の承認を得るのが恒例。
今回の 3期目継続の習近平には、低迷する中国経済の立て直しが条件付きで承認されたとの報道は、諸兄もご承知のこと。
中国経済が、日本を追い抜き、米国に迫っている功績は、鄧小平が築いた改革開放の中国独自の経済方式。それを継ぐのが共青団派。民間の活力を活かすのは、国有企業優先の習近平とは真逆。
不動産バブル崩壊や、成長を遂げる民間企業弾圧。ゼロコロナ政策強行継続で、混迷している現状の習近平の政策。
大会で、独裁体制の形を整えるのには成功した習近平ですが、台所は火の車。
人民の不満のはけ口を、国外に持絞めるのは、政権の常。
毛沢東の国共内戦以来の悲願の台湾併合への動きへの対応の必要性が、一段と高まりますね。
# 冒頭の画像は、退席する胡錦濤氏の前で笑顔で談笑する李強・上海市党委員会書記(手前右から2番目)
この花の名前は、モミジグサ
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遊爺さんの写真素材 - PIXTA
種々の推測がなされていますが、日経編集委員の中沢氏の解説記事があります。
「胡錦濤と目を合わすな」 病が招いた軍団完敗の悲劇: 日本経済新聞 編集委員 中沢克二 2022年10月26日
北京中心部にある要人の執務地「中南海」の奥深くで秘密裏に繰り広げられる宮廷政治劇が、はからずも外国人記者のカメラが回る目の前で起きてしまった。共産党総書記の習近平(シー・ジンピン、69)は、怒り心頭だろう。
宮廷政治劇の主演は、前共産党総書記の胡錦濤(フー・ジンタオ、79)だ。習は脇役にすぎない。習は究極の権力集中である極権を手にしたものの、前任の長老を「体調不良」という理由で第20回共産党大会の閉幕式から途中退席させるしかなかった。
中国政治の奥深さを知る人物は、厳しい情報統制のなか、漏れ伝わってきた当時の現場の実情をこう再現する。
「(閉会式の)あの日は(人民大会堂のひな壇に座る要人らの)誰もが示し合わせたように、健康が優れない胡錦濤と目を合わせないようにしていたんだ。すれ違いざまに目が合えば、『聞きたくない話』に付き合わされ、自分が政治的に危うくなる」
■「聞きたくない話」の中身
まるで要注意人物、腫れ物に触るような扱いだ。ポイントは「聞きたくない話」という部分である。ずばり習近平への不満もにじむ胡錦濤の本音の嘆きという意味だ。習が全権力を握った今、長老と話すのさえ危険な行為になった。だから誰もが胡錦濤を避け、身体が弱っている長老への気遣いもなく冷たい態度をとる。
おかしい。10年前まで厳しい規律が特徴の共産党トップだった人物が、習の晴れ舞台で不満を示すだろうか。あり得ない。そもそも長老は公の場で気ままに発言できず、内輪でも現トップの権威を傷付けないよう振る舞うものだ。
ところが、そのあり得ないことが起きそうだった。まれにみる異様な宮廷政治劇を読み解くキーワードは「体調」と「本音トーク」だ。胡錦濤は確かに体調不良だった。だが、不良だからこそ遠慮のない本音の嘆きが出ることもある。
少なくとも、あの場にいた面々は、後に国営通信の新華社が英語版公式ツイッターで「胡錦濤は体調が優れなかった」と説明した本当の意味を知っていた。ストレートに「本音トーク」をしかねない危うい状態である。例えば、人は酔い潰れたときなどに本音を吐き、遠慮のない行動を取る。深層心理がそのまま表れるのだ。
22日も両隣の習や全国人民代表大会常務委員長の栗戦書(リー・ジャンシュー、72)に何らかの意見をぶつけ、「自分にしゃべらせろ」などと迫ったとの説がある。これは証明できない。誇張の可能性もある。
ただ、これに絡み、極めてわかりにくい大事な「スクープ」があった。病状を紹介する新華社の英語版ツイッターの2つ目である。記者と名乗る筆者は、新華ネットの副総裁である劉加文という重鎮だ。「胡錦濤は党大会閉幕式への出席を主張していました。最近、健康回復に時間がかかっていたにもかかわらず……」と明記している。
閉会式に出席したいというのは、長老たっての希望だったのだ。新華社の説明には、健康上、出るべきではなかったし、習の意向に反して出席してしまったという含意がある。もう一歩、深読みすると、胡錦濤は閉会式への出席という行為そのもので何かを伝えたかったという示唆にもみえる。
真相はやぶの中とはいえ、ひとつだけ確かなことがある。勝ち誇る習の隣に座った胡錦濤が、自らのふがいなさを嘆き、いたたまれない心境だったことだ。長老らが持つ赤い書類ばさみの中の紙には、胡錦濤がみるのもいやな名簿が入っていた。
直前の次期中央委員会メンバーの選出の結果、長く自分を支えてくれたかわいい弟分李克強(リー・クォーチャン、67)が最高指導部から丸裸状態で退任し、中央委員にも残らなかった。丹精込めて自分が育て上げた共産主義青年団(共青団)と縁が深い改革派、汪洋(ワン・ヤン、67)の運命も軌を一にしていた。
そして次の日には、子飼いの副首相、胡春華も最高指導部入りできないばかりか、59歳という若さにもかかわらず政治局から追い出される。共青団の真のホープといわれた好男子の哀れを誘う末路である。
チベットで健康を害した際、手足となって働いてくれたかわいい子分の胡春華さえ、自分は守れなかった。習は事前に通告していたはずだ。長老は翌日、起きる共青団派にとってのさらなる悲劇を知っていた。このままでは組織が弱体化し、7千万人を超す共青団員は路頭に迷う。軍団の崩壊である。
3期目入りする習が、自らの秘書、お友達で埋め尽くされた最高指導部メンバーを披露した23日の驚愕(きょうがく)の記者会見。そこからときを戻し、すったもんだの末、長老が途中退席を迫られた一幕を観察すると、違った風景がみえてくる。中国史に刻まれるクライマックスは、誇らしげな習によるお披露目ではなく、胡錦濤が主役の前日の悲劇なのだ。「胡錦濤劇場」は10年の闘いの全ての結果を物語っていた。
体調不良とされた胡錦濤は、習の仕事を取り仕切る中央弁公庁の副主任らの手助けもえながら立ち上がったものの、一時退席を拒み、2回も席に戻るしぐさをみせた。新華社が説明した強い意志からしても、この時点で会場から去るのは長老の意思ではなかった。
習と言葉を交わした後、李克強の肩をポンとたたいて歩き出した長老は、完全に正気に見えた。肩をたたいたのは、退任に追い込まれた李克強のやるせない心情を思いやる真心からの慰労の表現だろう。
■7年前からパーキンソン病
映像を確認した医学専門家によると、ひな壇袖の出口に向かって前のめりぎみにスタスタ速足で歩いたのは、パーキンソン病の特徴である「突進歩行」という症状に似ているという。立ち上がる際、バランスが取りにくいのも、この病の特徴という。
胡錦濤の健康問題が明確になったのは7年前だ。15年9月3日、北京での大規模軍事パレードの際、胡錦濤も天安門の上に立った。だが、現場を撮影していた複数のカメラは、彼の左手先が小刻みに震えているのを見逃さなかった。パーキンソン病の最も明らかな症状である「振戦」だった。
病はその後も少しずつ進行していたようだ。この病の治療は難しい。ただし、認知にも何らかの問題があるのかは不明だ。もし明確なら開会式、閉会式への出席を医師団がとめたはずだ。それが指導者らの健康を厳格に管理する共産党中央保健委員会の役割である。
不思議なのは非公開だった本会議場に外国メディアが入ることを許された直後に「胡錦濤劇場」が始まったタイミングだ。偶然にしてはできすぎで、会場内の雰囲気は長く凍り付いたままだった。
そこに本人の「未必の故意」を感じとることもできる。おそらく世界にドタバタ劇の映像が流れる。万一、習の「晴れ舞台」に泥を塗る被害が出たとしても仕方がない。そんな深層心理だ。自らの大会出席はこれが最後という覚悟の行動にもみえる。
退場を強いられる胡錦濤が言葉をかけた際の習の態度はあまりに冷たく、つれなかった。体を長老の側に向けてあいさつする礼儀もない。この非礼さは「未必の故意」を感じとった習の意趣返しなのか。
政治局委員にさえ残れないことを予感していた胡春華は、胡錦濤の退場時、終始、腕組みをしながら渋い顔をしていた。異様な雰囲気だ。そして閉会式後の別部屋でのセレモニーのとき、あいさつに回ってきた習の前では作り笑いをしながら拍手もした。気丈である。
10年前のことだ。胡錦濤は、中央軍事委員会主席に居座った江沢民(ジアン・ズォーミン)と対照的に潔く退いた。完全引退で習に恩を売ったとされる。しかし当時、北京の政界関係者は「その裏には健康、気力の衰えもあった」と指摘していた。
そもそも身体はさほど強くない。胡はチベットのトップ在任中、高山病に悩み、大半を任地外で過ごした。長く最高指導部で精勤した精神的な疲労からくる顔面神経のこわばり、糖尿病の気もあったとされる。
3年後の15年に確認された手の震えからみて、引退時点で既に健康面に問題があったとみてよい。そうだとすれば、今回の習の最高指導部人事での驚くべき完勝は、胡錦濤の長年の体調不良も絡む政治力の衰えの結果である。
習はそこを鋭く突いた。胡錦濤は何ら効果的な防御策をとれず、李克強も首相の職務にまい進するばかりで、政治的な動きは封じられた。共青団派は一方的にたたかれ続け、最後に指導部から一掃されてしまった。もし胡錦濤の健康が完璧なら、違う展開もあった。李克強、胡春華とも今後も活躍できる道が開かれたかもしれないのだ。
■笑顔を隠さない李強氏
外国メディアによる様々な角度からの映像は、胡錦濤劇場の主役らをとらえただけではなかった。次の日、いきなり主役に躍り出る上海トップの李強(リー・チャン、63)らの表情までつぶさに伝えている。
腕を支えられながら退出する胡錦濤がすぐ後ろを通り過ぎるそのとき、笑顔で隣の女性副首相、孫春蘭(72)に話しかけている不遜な人物。それが李強である。突然の出来事によるざわつきをあえて無視している。まるで事件が起きるのを予感したかのようでもある。
習の秘書出身の最側近である李強が、翌日発表される自らの最高指導部入り、そして首相への道が敷かれる栄誉を知っていたのは間違いない。腕組みして動かなかった胡春華と好対照をなす。勝者と敗者はこの時点ではっきりしていた。これこそ中国共産党の異形の権力闘争である。厳しさ、そしてもの悲しさを感じざるをえない。(敬称略)
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中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。
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北京中心部にある要人の執務地「中南海」の奥深くで秘密裏に繰り広げられる宮廷政治劇が、はからずも外国人記者のカメラが回る目の前で起きてしまった。共産党総書記の習近平(シー・ジンピン、69)は、怒り心頭だろう。
宮廷政治劇の主演は、前共産党総書記の胡錦濤(フー・ジンタオ、79)だ。習は脇役にすぎない。習は究極の権力集中である極権を手にしたものの、前任の長老を「体調不良」という理由で第20回共産党大会の閉幕式から途中退席させるしかなかった。
中国政治の奥深さを知る人物は、厳しい情報統制のなか、漏れ伝わってきた当時の現場の実情をこう再現する。
「(閉会式の)あの日は(人民大会堂のひな壇に座る要人らの)誰もが示し合わせたように、健康が優れない胡錦濤と目を合わせないようにしていたんだ。すれ違いざまに目が合えば、『聞きたくない話』に付き合わされ、自分が政治的に危うくなる」
■「聞きたくない話」の中身
まるで要注意人物、腫れ物に触るような扱いだ。ポイントは「聞きたくない話」という部分である。ずばり習近平への不満もにじむ胡錦濤の本音の嘆きという意味だ。習が全権力を握った今、長老と話すのさえ危険な行為になった。だから誰もが胡錦濤を避け、身体が弱っている長老への気遣いもなく冷たい態度をとる。
おかしい。10年前まで厳しい規律が特徴の共産党トップだった人物が、習の晴れ舞台で不満を示すだろうか。あり得ない。そもそも長老は公の場で気ままに発言できず、内輪でも現トップの権威を傷付けないよう振る舞うものだ。
ところが、そのあり得ないことが起きそうだった。まれにみる異様な宮廷政治劇を読み解くキーワードは「体調」と「本音トーク」だ。胡錦濤は確かに体調不良だった。だが、不良だからこそ遠慮のない本音の嘆きが出ることもある。
少なくとも、あの場にいた面々は、後に国営通信の新華社が英語版公式ツイッターで「胡錦濤は体調が優れなかった」と説明した本当の意味を知っていた。ストレートに「本音トーク」をしかねない危うい状態である。例えば、人は酔い潰れたときなどに本音を吐き、遠慮のない行動を取る。深層心理がそのまま表れるのだ。
22日も両隣の習や全国人民代表大会常務委員長の栗戦書(リー・ジャンシュー、72)に何らかの意見をぶつけ、「自分にしゃべらせろ」などと迫ったとの説がある。これは証明できない。誇張の可能性もある。
ただ、これに絡み、極めてわかりにくい大事な「スクープ」があった。病状を紹介する新華社の英語版ツイッターの2つ目である。記者と名乗る筆者は、新華ネットの副総裁である劉加文という重鎮だ。「胡錦濤は党大会閉幕式への出席を主張していました。最近、健康回復に時間がかかっていたにもかかわらず……」と明記している。
閉会式に出席したいというのは、長老たっての希望だったのだ。新華社の説明には、健康上、出るべきではなかったし、習の意向に反して出席してしまったという含意がある。もう一歩、深読みすると、胡錦濤は閉会式への出席という行為そのもので何かを伝えたかったという示唆にもみえる。
真相はやぶの中とはいえ、ひとつだけ確かなことがある。勝ち誇る習の隣に座った胡錦濤が、自らのふがいなさを嘆き、いたたまれない心境だったことだ。長老らが持つ赤い書類ばさみの中の紙には、胡錦濤がみるのもいやな名簿が入っていた。
直前の次期中央委員会メンバーの選出の結果、長く自分を支えてくれたかわいい弟分李克強(リー・クォーチャン、67)が最高指導部から丸裸状態で退任し、中央委員にも残らなかった。丹精込めて自分が育て上げた共産主義青年団(共青団)と縁が深い改革派、汪洋(ワン・ヤン、67)の運命も軌を一にしていた。
そして次の日には、子飼いの副首相、胡春華も最高指導部入りできないばかりか、59歳という若さにもかかわらず政治局から追い出される。共青団の真のホープといわれた好男子の哀れを誘う末路である。
チベットで健康を害した際、手足となって働いてくれたかわいい子分の胡春華さえ、自分は守れなかった。習は事前に通告していたはずだ。長老は翌日、起きる共青団派にとってのさらなる悲劇を知っていた。このままでは組織が弱体化し、7千万人を超す共青団員は路頭に迷う。軍団の崩壊である。
3期目入りする習が、自らの秘書、お友達で埋め尽くされた最高指導部メンバーを披露した23日の驚愕(きょうがく)の記者会見。そこからときを戻し、すったもんだの末、長老が途中退席を迫られた一幕を観察すると、違った風景がみえてくる。中国史に刻まれるクライマックスは、誇らしげな習によるお披露目ではなく、胡錦濤が主役の前日の悲劇なのだ。「胡錦濤劇場」は10年の闘いの全ての結果を物語っていた。
体調不良とされた胡錦濤は、習の仕事を取り仕切る中央弁公庁の副主任らの手助けもえながら立ち上がったものの、一時退席を拒み、2回も席に戻るしぐさをみせた。新華社が説明した強い意志からしても、この時点で会場から去るのは長老の意思ではなかった。
習と言葉を交わした後、李克強の肩をポンとたたいて歩き出した長老は、完全に正気に見えた。肩をたたいたのは、退任に追い込まれた李克強のやるせない心情を思いやる真心からの慰労の表現だろう。
■7年前からパーキンソン病
映像を確認した医学専門家によると、ひな壇袖の出口に向かって前のめりぎみにスタスタ速足で歩いたのは、パーキンソン病の特徴である「突進歩行」という症状に似ているという。立ち上がる際、バランスが取りにくいのも、この病の特徴という。
胡錦濤の健康問題が明確になったのは7年前だ。15年9月3日、北京での大規模軍事パレードの際、胡錦濤も天安門の上に立った。だが、現場を撮影していた複数のカメラは、彼の左手先が小刻みに震えているのを見逃さなかった。パーキンソン病の最も明らかな症状である「振戦」だった。
病はその後も少しずつ進行していたようだ。この病の治療は難しい。ただし、認知にも何らかの問題があるのかは不明だ。もし明確なら開会式、閉会式への出席を医師団がとめたはずだ。それが指導者らの健康を厳格に管理する共産党中央保健委員会の役割である。
不思議なのは非公開だった本会議場に外国メディアが入ることを許された直後に「胡錦濤劇場」が始まったタイミングだ。偶然にしてはできすぎで、会場内の雰囲気は長く凍り付いたままだった。
そこに本人の「未必の故意」を感じとることもできる。おそらく世界にドタバタ劇の映像が流れる。万一、習の「晴れ舞台」に泥を塗る被害が出たとしても仕方がない。そんな深層心理だ。自らの大会出席はこれが最後という覚悟の行動にもみえる。
退場を強いられる胡錦濤が言葉をかけた際の習の態度はあまりに冷たく、つれなかった。体を長老の側に向けてあいさつする礼儀もない。この非礼さは「未必の故意」を感じとった習の意趣返しなのか。
政治局委員にさえ残れないことを予感していた胡春華は、胡錦濤の退場時、終始、腕組みをしながら渋い顔をしていた。異様な雰囲気だ。そして閉会式後の別部屋でのセレモニーのとき、あいさつに回ってきた習の前では作り笑いをしながら拍手もした。気丈である。
10年前のことだ。胡錦濤は、中央軍事委員会主席に居座った江沢民(ジアン・ズォーミン)と対照的に潔く退いた。完全引退で習に恩を売ったとされる。しかし当時、北京の政界関係者は「その裏には健康、気力の衰えもあった」と指摘していた。
そもそも身体はさほど強くない。胡はチベットのトップ在任中、高山病に悩み、大半を任地外で過ごした。長く最高指導部で精勤した精神的な疲労からくる顔面神経のこわばり、糖尿病の気もあったとされる。
3年後の15年に確認された手の震えからみて、引退時点で既に健康面に問題があったとみてよい。そうだとすれば、今回の習の最高指導部人事での驚くべき完勝は、胡錦濤の長年の体調不良も絡む政治力の衰えの結果である。
習はそこを鋭く突いた。胡錦濤は何ら効果的な防御策をとれず、李克強も首相の職務にまい進するばかりで、政治的な動きは封じられた。共青団派は一方的にたたかれ続け、最後に指導部から一掃されてしまった。もし胡錦濤の健康が完璧なら、違う展開もあった。李克強、胡春華とも今後も活躍できる道が開かれたかもしれないのだ。
■笑顔を隠さない李強氏
外国メディアによる様々な角度からの映像は、胡錦濤劇場の主役らをとらえただけではなかった。次の日、いきなり主役に躍り出る上海トップの李強(リー・チャン、63)らの表情までつぶさに伝えている。
腕を支えられながら退出する胡錦濤がすぐ後ろを通り過ぎるそのとき、笑顔で隣の女性副首相、孫春蘭(72)に話しかけている不遜な人物。それが李強である。突然の出来事によるざわつきをあえて無視している。まるで事件が起きるのを予感したかのようでもある。
習の秘書出身の最側近である李強が、翌日発表される自らの最高指導部入り、そして首相への道が敷かれる栄誉を知っていたのは間違いない。腕組みして動かなかった胡春華と好対照をなす。勝者と敗者はこの時点ではっきりしていた。これこそ中国共産党の異形の権力闘争である。厳しさ、そしてもの悲しさを感じざるをえない。(敬称略)
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中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。
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「中南海」の奥深くで秘密裏に繰り広げられる宮廷政治劇が、はからずも外国人記者のカメラが回る目の前で起きてしまった。共産党総書記の習近平(シー・ジンピン、69)は、怒り心頭だろうと、中沢氏。
宮廷政治劇の主演は、前共産党総書記の胡錦濤。
習は脇役にすぎない。習は究極の権力集中である極権を手にしたものの、前任の長老を「体調不良」という理由で第20回共産党大会の閉幕式から途中退席させるしかなかったと。
「(閉会式の)あの日は(人民大会堂のひな壇に座る要人らの)誰もが示し合わせたように、健康が優れない胡錦濤と目を合わせないようにしていたんだ。すれ違いざまに目が合えば、『聞きたくない話』に付き合わされ、自分が政治的に危うくなる」
との、中国政治の奥深さを知る人物談。
「聞きたくない話」とは、ずばり習近平への不満もにじむ胡錦濤の本音の嘆きだと、中沢氏。
習が全権力を握った今、長老と話すのさえ危険な行為になった。だから誰もが胡錦濤を避け、身体が弱っている長老への気遣いもなく冷たい態度をとると。
そもそも長老は公の場で気ままに発言できず、内輪でも現トップの権威を傷付けないよう振る舞うものだ。
ところが、そのあり得ないことが起きそうだった。まれにみる異様な宮廷政治劇を読み解くキーワードは「体調」と「本音トーク」だ。胡錦濤は確かに体調不良だった。だが、不良だからこそ遠慮のない本音の嘆きが出ることもある。
少なくとも、あの場にいた面々は、後に国営通信の新華社が英語版公式ツイッターで「胡錦濤は体調が優れなかった」と説明した本当の意味を知っていた。ストレートに「本音トーク」をしかねない危うい状態であると。
極めてわかりにくい大事な「スクープ」があったと、中沢氏。
新華社の英語版ツイッターの2つ目。「胡錦濤は党大会閉幕式への出席を主張していました。最近、健康回復に時間がかかっていたにもかかわらず……」と明記していると中沢氏。
閉会式に出席したいというのは、長老たっての希望だったのだ。新華社の説明には、健康上、出るべきではなかったし、習の意向に反して出席してしまったという含意がある。もう一歩、深読みすると、胡錦濤は閉会式への出席という行為そのもので何かを伝えたかったという示唆にもみえると。
そういわれてみると、江沢民は欠席でしたね。
真相はやぶの中とはいえ、ひとつだけ確かなことがある。勝ち誇る習の隣に座った胡錦濤が、自らのふがいなさを嘆き、いたたまれない心境だったことだ。長老らが持つ赤い書類ばさみの中の紙には、胡錦濤がみるのもいやな名簿が入っていたと、中沢氏。
内容は、長く自分を支えてくれたかわいい弟分李克強(リー・クォーチャン、67)が最高指導部から丸裸状態で退任し、中央委員にも残らなかった。丹精込めて自分が育て上げた共産主義青年団(共青団)と縁が深い改革派、汪洋(ワン・ヤン、67)の運命も軌を一にしていた。
そして次の日には、子飼いの副首相、胡春華も最高指導部入りできないばかりか、59歳という若さにもかかわらず政治局から追い出される。共青団の真のホープといわれた好男子の哀れを誘う末路。
かわいい子分の胡春華さえ、自分は守れなかった。
長老は翌日、起きる共青団派にとってのさらなる悲劇を知っていた。このままでは組織が弱体化し、7千万人を超す共青団員は路頭に迷う。軍団の崩壊である。
胡錦涛は、一時退席を拒み、2回も席に戻るしぐさをみせた。新華社が説明した強い意志からしても、この時点で会場から去るのは長老の意思ではなかった。
習と言葉を交わした後、李克強の肩をポンとたたいて歩き出した長老は、完全に正気に見えた。肩をたたいたのは、退任に追い込まれた李克強のやるせない心情を思いやる真心からの慰労の表現だろうと、中沢氏。
不思議なのは非公開だった本会議場に外国メディアが入ることを許された直後に「胡錦濤劇場」が始まったタイミングだ。偶然にしてはできすぎで、会場内の雰囲気は長く凍り付いたままだったと。
そこに本人の「未必の故意」を感じとることもできる。おそらく世界にドタバタ劇の映像が流れる。万一、習の「晴れ舞台」に泥を塗る被害が出たとしても仕方がない。そんな深層心理だ。自らの大会出席はこれが最後という覚悟の行動にもみえると。
退場を強いられる胡錦濤が言葉をかけた際の習の態度はあまりに冷たく、つれなかった。
この非礼さは「未必の故意」を感じとった習の意趣返しなのかと、中沢氏。
政治局委員にさえ残れないことを予感していた胡春華は、胡錦濤の退場時、終始、腕組みをしながら渋い顔をしていた。異様な雰囲気だ。そして閉会式後の別部屋でのセレモニーのとき、あいさつに回ってきた習の前では作り笑いをしながら拍手もした。気丈であると。
今回の習の最高指導部人事での驚くべき完勝は、胡錦濤の長年の体調不良も絡む政治力の衰えの結果である。
習はそこを鋭く突いた。胡錦濤は何ら効果的な防御策をとれず、李克強も首相の職務にまい進するばかりで、政治的な動きは封じられた。共青団派は一方的にたたかれ続け、最後に指導部から一掃されてしまった。
大会での党人事については、事前の北戴河会議で長老の承認を得るのが恒例。
今回の 3期目継続の習近平には、低迷する中国経済の立て直しが条件付きで承認されたとの報道は、諸兄もご承知のこと。
中国経済が、日本を追い抜き、米国に迫っている功績は、鄧小平が築いた改革開放の中国独自の経済方式。それを継ぐのが共青団派。民間の活力を活かすのは、国有企業優先の習近平とは真逆。
不動産バブル崩壊や、成長を遂げる民間企業弾圧。ゼロコロナ政策強行継続で、混迷している現状の習近平の政策。
大会で、独裁体制の形を整えるのには成功した習近平ですが、台所は火の車。
人民の不満のはけ口を、国外に持絞めるのは、政権の常。
毛沢東の国共内戦以来の悲願の台湾併合への動きへの対応の必要性が、一段と高まりますね。
# 冒頭の画像は、退席する胡錦濤氏の前で笑顔で談笑する李強・上海市党委員会書記(手前右から2番目)
この花の名前は、モミジグサ
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