鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

東俣野中央公園

2010-10-30 | 横浜


東俣野の祠の右手の坂道を上るとそこが東俣野中央公園でした。
子供の遊び場がありましたが、子供も大人も姿が見えませんでした。


段丘の傾斜に作られた公園なので、更に坂道を上ると見晴らしに出ました。
すぐ下にテニスコートがあり、ここは賑わっていました。
はるか向こうには、境川の右岸の段丘が見えます。
かすかに見えるビルは日本大学生物資源科学部の校舎です。


見晴らしの裏手は芝生広場が広がり、その奥に運動場が見えました。


見晴らしから下る立派な階段がありました。
右手遠くに見えるのは以前ドリームランドがあった地域です。


下ってきた階段を振り返りました。


ここには公園の案内図がありました。駐車場も完備していました。
どうやらここが正門のようです。

東俣野の祠(ほこら)

2010-10-29 | 横浜


境川の左岸・東俣野にある東俣野中央公園に行く途中で出会った祠です。
東俣野の段丘の途中から境川の流域の水田・畑地を眺める場所にある神社です。


境内の中に並んでいた石碑です。
左手の青面金剛像のある庚申供養塔、足元にあるはずの3猿が1猿になっていました。
その右隣の南無阿弥陀仏の石碑の下にある小さな像もよく分かりません。
祠の事情は深入りせず、このまま受け入れることにしました。


横浜水道境川水道橋

2010-10-28 | 横浜


立石神社から境川の立石橋に行き、上流を横切る横浜水道境川水道橋を眺めました。
藤沢西俣野と横浜東俣野の段丘の間を結ぶ水道橋です。
鉄道の鉄橋と間違えそうな立派な水道橋です。


面白いことに、昭文社発行の「藤沢市」の地図にはこの橋はありません。
同じ昭文社発行の「街の達人・横浜川崎神奈川県便利情報地図」には、
橋の場所に二本の線が引いてあるだけでした。
水路の場所は、出来るだけ機密にするというルールがあるのかも知れません。

戸塚踏切のトンネル化

2010-06-28 | 横浜

戸塚駅西口のトツカーナモールの3階から眺めた「戸塚踏切」です。
昭和28年(1930)この踏切が「開かずの踏切」だったため、吉田首相用にワンマン道路が作られました。
ワンマン道路に横浜新道が加わり、道路事情は改善されましたが、
「戸塚踏切」の問題点は現在も続いています。


周辺の道路もいろいろ改善されましたが、まだ「開かずの踏切」です。
西口開発の工事が続いていることもあり、人にも車にもまだまだ難所です。


工事現場を見回っていると、トンネル工事の看板を見つけました。
ここの工事は間もなく終わるようですが、トンネルが開通するのは平成26年(2014)とのことです。
ずいぶん長い時間が流れたものです。

トツカーナモール

2010-06-08 | 横浜


JR戸塚駅西口に今年の4月にオープンしたトツカーナモールです、
まだ周辺施設の整備が進行中で、駅のプラットフォームから見るとまだ未完成の感じです。
トツカーナの呼称は公募で選ばれたようですが、「トスカーナ」のイメージにあやかったのでしょう。


地下の改札からモールへ進む地下道の壁面にある広重の東海道戸塚宿の浮世絵です。
このイメージはモールには使いきれなかったようです。


駅地下道からトツカーナモールへ入る入口です。
かってこの場所の上にあった洋菓子店で大きな地震のような振動に驚いた記憶があります。
地盤が弱かったのか、電車が通り過ぎる度に振動が起きていたのです。


モールの見学は後日の楽しみにしてモールの2階から裏手に出ると、
しっかりと整備されたバスターミナルとタクシー乗り場がありました。
戸塚駅利用者には、長い間待ち望んだ施設です。「やっと出来上がった」というのが本音でしょう。

瀬谷・宗川寺

2010-04-04 | 横浜


瀬谷から大和を目指して南に下り、中原街道に出たところに宗川寺がありました。
南向きの明るい境内に誘われて中にはいりました。


ここには大きな桜の木が数本あり、桜見物で賑わいそうな寺でした。
残念ながら境内中央のソメイヨシノはまだ蕾でした。本堂右手のしだれ桜は5分咲きで風にそよいでいました。


本堂左手にも大きなしだれ桜がありますが、これもまだ開花準備中でした。
注)多分今日あたりが一番の見ごろだと思われます。

瀬谷・徳善寺

2010-04-02 | 横浜


瀬谷図書館の前を通って、南に向って進むと、大きな寺の前に出ました。
瀬谷山徳善禅寺でした。
山門が立派なので、敬意を表して境内に入りました。



徳善寺は弘治元年(1555)の創建で、開山は玄室泰存禅師、本尊は釈迦牟尼仏のようです。


参道の左手に茂っていた木です。何気なく通り過ぎました。


帰りがけ、木の下の掲示に「タラヨウ」とあるのに気がつきました。
この木の葉の裏に傷をつけると黒く変色するため、字が書けるのだそうです。
インドにも同じようなタラジュ(多羅樹)という木があり、
そのためタラヨウ(多羅葉)と呼ばれるようになったそうです。
「はがきの木」「郵便局の木」と呼ばれることもあるそうです。


境内側から見た山門です。表に「平成門」という額あったので、
平成に入ってから建立されたのでしょう。

瀬谷中央公園

2010-04-01 | 横浜


まだ咲いていない海軍道路の桜と別れて、瀬谷中央公園に足を運びました。
海軍道路の西側の木立の斜面を下って、大門川に沿った場所に、広い運動場がありました。
子ども達が元気よく遊んでいました。


ここには、子供のためのログハウス「まるたのしろ」があり、
寒い時や、雨天の時でも、室内でのびのび遊べる施設が整っていました。


入口を見ながら、「ちょっと変だな?」と思った掲示がありました。
かなり大きな「禁煙」の掲示です。
子ども達のための掲示とは思えません。掲示の対象は誰でしょうか?。

海軍道路の桜

2010-03-31 | 横浜


相鉄線瀬谷駅のすぐ西側を北に真っ直ぐ伸びる環状4号線、地図に海軍道路と記されています。
ここは桜の名所で道沿いが桜並木になっています。
今年は花冷えの期間が長く、まだ駄目だろうと思いながら訪ねてみましたが、やっぱり駄目でした。


それでも、よく見ると準備はすっかり整っているようでした。
暖かい日が2~3日続けばすぐ見ごろになりそうでした。

上飯田・イヌツゲの生垣

2010-03-30 | 横浜


飯田神社の帰り、旧道のかまくら道を南に歩きました。右手に畑地が広がるところで、
長いイヌツゲの生垣に出会いました。
長い生垣を撮るため、畑地の中の道に入って、やっと全体を収めました。


生垣をくぐる門の左手に、横浜市の名木古木の指定の掲示がありました。
よく見ると、この部分だけ、一部ヒイラギが混ざっているいるように見えました。
それにしても、手入れが大変だろうと思いました。

下飯田・美濃口家長屋門

2010-03-27 | 横浜


境川の渡戸橋から左岸の川沿いの道を北に歩きました。
しばらく行くと、右手の畑地の向こうの旧道沿いに立派な長屋門が見えました。
昔の長屋門ではなく、現役の長屋門です。


畑地を横切って、長屋門に近づきました。
江戸期以来の名主で、明治になってからも村長を出し続けた美濃口家の長屋門でした。


入口に案内板があったので、長屋門の説明かと思ったのですが、美濃口春鴻の説明でした。
美濃口春鴻は享保18年(1733)の生まれで、江戸期を代表する俳人だったようです。
美濃口家に残る資料が有形文化財の指定を受けていますが、非公開となっていました。

第六天から草木橋まで

2010-03-25 | 横浜


第六天神社裏から草木橋まで和泉町のぶらぶら歩きです。
酒湧池から神社の裏手の道を北に向うと、唖然とするような生垣に出会いました。
これだけ立派だとコメントも無用です。


民家の塀の中に組み込まれた六地蔵です。
特に説明もありませんが、地元の人達に大事にされているようです、


道角に石碑がありました。多分道祖神だと思われますが、ここまで磨耗すると、判読は不可能です。


草木橋の袂に、石像・石碑がまとめて保存されていました。
周辺の開発に伴う散逸を防ぐための処置だと思われます。


石像・石碑群の前の民家の塀に、現代の石像が並んでいました。




下和泉・酒湧池(さかわくのいけ)

2010-03-23 | 横浜


第六天神社の左側の坂道を上って、社殿の裏手に進むと、右側に「酒湧池」の案内がありました。
民話では、病気の父親をよく面倒を見て、酒を買って飲ませる孝行息子のために、
神様が池の水を酒に変えたようです。
それを知った村人が、池の酒を樽につめ、一儲けしようとしたため、
ただの水になってしまった、と伝わっています。


竹で作られた垣根の間に急な階段が出来ていました。


階段を下りたところに小さな平場があり、小さな祠がありました。
よく見ると、ここは池の中の島でした。


島のまわりに、ささやかな水面がありました。
伝説との関係もあるのでしょうか、「和泉町」の町名の起源はこの池だとも言われています。




下和泉・第六天神社

2010-03-22 | 横浜


和泉町の四ッ谷交差点の東側の丘にある第六天神社です。
「第六」があるなら、「第一」から「第五」もあるのだろうと思ったのですが、
神仏習合時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建され、
明治の神仏分離で神世六代の面足能命、惶根能命が祭神に変わったようです。


延宝年間(1673-1680)領主の松平五郎兵衛甫昌が当社を崇拝して、度々参詣したと伝わっています。


境内は社殿の左奥が道に面して明るくなっていますが、
全体に木々が茂っていて、まだ森の雰囲気が残っています。
社殿の右手前には大きなクスノキがありました。


鳥居の左手の掲示です。神社の裏手に「酒湧池」があるというので、訪ねることにしました。

下和泉・密蔵院

2010-03-21 | 横浜


下和泉・鯖大明神から道なりに北へ進むと、環状4号線に突き当たりました。
道の向こう側に真言宗の密蔵院の階段がありました。
横浜市の名木古木指定の大イチョウは、道の手前に残っていましたが、
境内から追い出された感じでした。


密蔵院の創建は不明ですが、
開祖の祐海法印が天文14年(1545)に亡くなったので、それ以前とされています。
旧和泉村の民間信仰の中心地だったようで、境内には多くの石仏、石碑が残っています。


境内には大きなハクモクレンがあり、ちょうど満開でした。


ライトアップの設備もあるので、夜訪れる人もあるようです。


帰りがけ、参道の脇にあったミツマタです。