鶴ヶ峰・二俣川の辺は、畠山重忠が北条時政により謀反の疑いをかけられ、僅か134騎で北条2万騎と戦い戦死した場所とされています。
相鉄鶴ヶ峰駅周辺の史跡をひと回りしました。
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鶴ヶ峰駅北口から水道道を進み、道案内のはんこ屋の看板を目指しました。
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はんこ屋の先の信号を越えると、「畠山重忠公終焉の地」の道標がありました。
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小さな緑の公園の入口の案内です。
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肝心の畠山重忠公の碑は奥の帷子川を見下ろす場所に建っていました。
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鶴ヶ峰の本町通りのバス停薬王寺を手掛かりに、薬王寺を探しました。
地蔵堂の近くに道案内がありました。
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薬王寺には「畠山重忠の霊堂」と最後に従った一族郎党の埋葬された「六ツ塚」がありました。
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「六ツ塚」の案内板です。
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水道道の最初のはんこ屋の裏手までもどり、畠山重忠の「首塚」の前に出ました。
重忠の首か兜が埋められた場所とされています。
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首塚のすぐ近くの区役所の柵越しに見た「首洗いの井戸」の標識です。
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ふれあいプロムナードを通って鶴ヶ峰駅まで戻りました。
本日の感想:終焉地の史跡はなかなか実感の難しいものです。