鵠沼・昔砂丘の一本松

湘南藤沢住人の記憶の手掛かり …… フォト・ブログ

鎌倉文学館

2016-05-13 | 鎌倉



詩人萩原朔太郎の生誕130年特別展開催中の鎌倉文学館を訪ねました。



トンネルを抜けて新緑の文学館に近づきました。



久し振りに常設展をゆっくり見て、その後で朔太郎の特別展を楽しみました。
と言っても、詩人の回顧展で画像は撮れませんが、「マボロシヲミルヒト」という素敵な冊子を手に入れました。



庭の芝生から見上げた鎌倉文学館です。



庭の一角にはツツジが満開でした。





バラ園の中からでたらめに選んだ3つのバラです。

鎌倉市吉屋信子記念館

2016-05-12 | 鎌倉



鎌倉市の吉屋信子記念館、何度か門前に立ちましたが、いつも閉館中でした。
たまたまこの日は開館日だったので、中に入りました。



昭和31年に近代数寄屋建築家の吉田五十八が設計した建物です。



記念館の広い芝生の向うに見える庭です。



館内にあった吉屋信子の作品の展示ケースです。残念ながら、1冊も読んだことがありません。



鎌倉市の社会教育施設をゆっくり見学して、次の目的地に向かいました。


鎌倉広町緑地④竹ヶ谷を下る

2016-05-11 | 鎌倉



新緑の映える外周コースを西回りで進みました。



途中から竹ヶ谷へ下る道に入り、明るい木道をゆっくり進みました。



人の入らない明るい草地と森だけの空間です。
空にはトンビが旋回していました。



竹ヶ谷を抜けて、管理事務所まで戻りました。
この日は広町緑地の左半分を散策したことになります。

鎌倉広町緑地③石切り場

2016-05-10 | 鎌倉



しばらく木立のなかの急坂を上り、「石切場」に着きました。
石が草むらに埋もれてよく見えませんが、鎌倉石の切出し場だったようです。



立ち止まって、よく眺めてみると、なるほどここが石切場だと思える場所がありました。



またしばらく坂道を上り、緑地の外周コースに辿り着きました。
ここから左に進むと鎌倉山住宅街になります。

鎌倉広町緑地②谷戸の奥へ

2016-05-09 | 鎌倉



小さな流れの御所川に沿って花を楽しみながら谷戸の奥へ進みました。



フジを期待していたのですが、日差しの谷間に埋もれてよく見えませんでした。



小さな水溜りに「蛙池」という標識があったので、おたまじゃくしを探しましたが見つかりませんでした。

鎌倉広町緑地①田んぼと畑

2016-05-08 | 鎌倉



GWの鎌倉広町緑地の散歩に出掛けました。
多分ここには人混みはないだろうと予測した結果ですが、大正解でした。



御所谷の里山復元林と田んぼ、畑を眺めながら歩きました。



子ども達の木登りで人気のある大エノキもこの日は静かでした。

モンタナ修道院

2016-05-06 | 鎌倉



腰越から広町緑地に向かう途中、いつものようにモンタナ修道院に立ち寄りました。



聖堂近くに立つ、幼子を抱いた白い石像です。



修道女の方が扉を開けたままにしてくれたので、聖堂の内部を見ることが出来ました。



帰り際、植込みにある「修道院の願い」を改めて確認しました。

龍口山本龍寺

2016-05-05 | 鎌倉



腰越2丁目の神戸川沿いの道で出会った人が、右手に花のきれいな寺があると教えてくれました。
龍口寺輪番寺の一つ、龍口山本龍寺です。



本龍寺は通路沿いに沢山の花の鉢が並んだ家庭的な雰囲気の境内でした。



本堂には「本龍精舎」の額が掲げてありました。
何故か、賽銭箱の両脇にはウサギの置物がありました。



境内のあちこちに、カエルの置物がありました。



江ノ電腰越駅

2016-05-04 | 鎌倉



江ノ電腰越駅は、路面電車の駅の雰囲気もあり、4両編成が入り切れない小さな駅という特徴があります。
その上、改札口が裏通りにあるというのも特色です。
いつもそのまま通り過ぎていましたが、この日初めて駅の画像を撮りました。

ふじさわ宿交流館開館

2016-05-02 | 藤沢



本日開館のふじさわ宿交流館は予想通り人が溢れていました。
遊行寺山門手前の右手の一角に新築されました。



その昔はこの辺りに高札場があったようで、入口右手に再現してありました。



館内の多目的ホールでは開館行事に集まった人で一杯でした。



すぐ近くの消防団の入口扉も、ふじさわ宿らしい浮世絵で飾られていました。
少し落ち着いてから、また見に行きます。

江の島弁財天道標の引越

2016-05-01 | 藤沢



開館したふじさわ宿交流館の様子を見に行く途中、藤沢橋の袂の植込みに江の島弁財天道標を発見しました。



案内板によると、藤沢市役所新館脇にあった道標を昨年11月に引越したようです。



交流館の新設と藤沢宿の史蹟整備の一環なのでしょう。