毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

新しい目、新しい世界

2015年10月18日 07時52分15秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


いったん事実として刷り込まれた情報が 自分にとっていいものでないと悟り、新たな情報にすっかり書き換えるまで、どれほどの手間隙がかかるのでしょう。

「外側の世界は内面の鏡」 を事実として落とし込むのに11年かかったと 前に書きましたが、最初にこれを肯定したのは 割とすぐ、初めて聞いてから 1~3ヶ月以内のことだったかと。

しかし、「信じる」 と 「事実と認める」 との距離は 遠かったのです (^_^;)




「信じる」 のは、直感的に なんかうなずける、すっと入る、ぐらいのところから 始められます。

そして、信じたことを仮説に 日々検証を重ね、「やっぱり違う」 とならない限り、その信頼は どんどん深まっていく。

しかし いくら深まったところで、「信じる」 のままでいる間は、それを熱く語ることはできても、それに丸ごと自分を賭けるところまではいかないのです。

数ヶ月であっさり信頼できたものが、すべてを賭けられるほど自分のものとなるまでに 11年かかったというのは、最初のインプリントがそれだけがっちり強力に食い込んでいたということ。

しかしまた、外からの情報に過ぎなかったものでも、いったん受け入れ 消化吸収して 自分の言葉 ・ 自分の思いとなれば、その根深い思い込みさえ 覆せるほどの力を持つということでもあるんですね♪




周囲の景色が、起こっていることから 目の前の人までみな、「他」 であると同時に 「自分」 でもあると見えるようになってくると、今度は 意識のほうが、その認識につられて変わり出しました。

それまで 「外と内は別物」 という刷り込みに従って 世界を解釈し 認識していたのが、逆転したのです。

世界は決して恐ろしいところなんかじゃない、だって 自分で創り出しているんだから、と 観念の修正が進み、それにつれて 不安がどんどん薄らいで、ネガティブな想像が ぐんと減りました。

入れ替わりに 明るく前向きなイメージが 自然と湧き起こるようになり、その頻度が増してきました。

世界を見る目が、これまでになく大きく変わったのです。

そして、その 変わった目をもとに、先のことを考えられるようになりました。

ここまできて初めて、実際の選択や行動も がらりと変えられるんですね。




四半世紀以上続いた奈良での生活を ばさりと断ち切って、和歌山へと移る、あの14年前の決断は、それまでの私の生き方からすれば 清水の舞台から飛び降りる級でした。

あのときは、何かわからない内からの強い衝動に 一大決心で従っての行動で、それもまあ 私の性格からすれば 破天荒なことだったのですが。

それがいまや、否定的な思い込みの書き換えを 意図して進めることで、あのとき以上の変化を 人生に創り出そうとしています。

降りかかる火の粉に 怒りながらも逃げ惑うばかりだった私が、魔法の杖を振るって 人生を創り替えようとしています。




これほどの変化をとげられたことを思うと、あの決断と そこからきょうまでの日々のすべてを、心の底から祝福したくなります (*^▽^*)