「自分の世界は自分が創っている」
これをなかなか信じられないのは、今の自分の世界が 望むものとかけ離れているからではないでしょうか。
誰にでもそんな力があるのなら、なんで私はこんな生き方してるのよ、と。
でも 安心してください、私たちは すでにその力をバッチリ使いこなして、今のその氣に入らない世界を 日々築き続けているのです。
世界を創る力を、私たちは 生まれたときから 獲得 & 発揮しているのです
望む世界の実現が 夢物語に思えるのなら、すでに今創っている 望まない世界と、その元になっている 現在の自分の意識のつながりに目を向ければ、わかりやすいのではないでしょうか。
とはいえ、自身の否定的な面に目を向けるのは、氣が進まないかもしれませんね。
そういうときこそ ピンチが役に立つのです。
こんな状態のままいるぐらいなら、ネガでも闇でも覗き込んでやる と “火事場の馬鹿力” 的に 決意させてくれます。
もちろん、そこまで追い込まれる前に 少しでも食指が動くなら、ぜひ☆
誰だって、いやなことからは 目を背けたいもの。
でも、ここは 勇氣の出しどころです。
起こっていることを鏡とみなし、それを手がかりに 自分の心の中を探っていきます。
それでもなにも見つからなかったら どうするかって?
そのときは、問題が早晩解決するか (ピンチと思い込んでいただけということもありますから)、ますます追い込まれるか、時と状況 ・ 相手を変えて 再び似たようなピンチがやってくるでしょう。
宇宙の意思は、愛情深いのです。
私たちがやり損ねたからといって、責めるでも 見放すでもなく、何度でもチャンスを提供し、自ら氣づくのを 辛抱強く待っていてくれます。
この 自分を見つめるプロセスも、人の数だけ道筋があります。
同じように イヤだなと思う相手を鏡にしても、そこに 自分自身のイヤなところが見えることもあれば、きっとそういう人と出くわすに違いないという思い込みが見えることもある。
そして、そこから 過去の体験へと導かれていきます。
だから、ここは 自分が主体となって 自分の意志で行う必要があるのです (ナビゲーターや支え手がついてくれるのはいいですが) 。
最初はどうしても うれしくないものを 次々見る羽目になりますが、そこでめげずに 観察を続けながら より深くへと進んでいくと、最後には 解放と安らぎが待っています。
因果という言葉が示すように、どんな結果にも 必ず原因となることがあるもの。
ああ、これがあったから こういう想念が生まれ、こういう現実を生み出していたのか、と すとんと腑に落ちたときが、探索の終わり。
そこには、もう目を背けたくなるようなイヤなものは 存在しません。
深い理解と感動、安堵が起こり、やがては 問題の解消へとつながっていきます (^^)