毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

見るべきは いつも自分

2015年10月24日 23時55分05秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


前の記事に書いた、私の探究の土台造りに力を貸してくれた人。

お別れとなったのは、せっかく真理を伝えてくれていたにもかかわらず、肝心のその人自身が 自ら語る世界を生きていない、と感じたゆえでした。

とはいえ、どっぷり依存していた私が そうそう簡単に離れられるはずもなく、助けてくれる人あってのこと。




当然のように 今度はそちらに向けられた依存を うまくかわして、その人は 私が自分の足で立つように仕向けてくれました。

今でも感謝しきれないほどの ありがたさ (*^^*)




そこから ひとりでの探究が始まりましたが、それでも依存したい思いは 根深く残っていたようで、その後もたびたび これは、と思う人を見つけては 近づきました。

が、しばらくすると いつも なんか違う・・・ということになってしまうのです。

その理由は 毎回同じ、「言っておられることと 実際の行動に ギャップを感じる」 。

これをいく度も繰り返せば、「まわりは鏡」 と認識する身、メッセージは いやでもわかります。




人のことはいい。

これは 今のあなたです。

問題があるのは あなた。

あの人たちは、それを見せてくれているだけ。

どれほど懸命に探求し 智恵や力を身につけても、正しく使うことができなければ 幸せにもなれないし、せっかく持って生まれたお役目を果たすこともできなくなる。

自分をしっかり見つめて、思うところと 実際の行動のずれに氣づき、その理由を探って 正していくこと、これが これからのあなたの課題。




ずん ときました。

人の欠点は 目につきやすいもの、ついつい他者を批判したり責めたりしたくなってしまう、 そんな私に 否定する余地もない形で突きつけられた、このメッセージ。




心に満たされないものがあると、どうにかして それを埋めたくなります。

もともとの原因が 自分自身にあるとわかっていないと、外にばかり目を向けて、 無意識のうちに まわりの人から 不足分を奪う行動に出てしまいます。

せっかく備わった智恵や力も、そのための手段として使ってしまいます。

悪氣はないのに、そういうことと氣づけないばっかりに、自分もまわりも 意に反して 不幸になってゆきます。




あのとき 氣づかせてもらって ほんとうによかった、つくづくそう思います。

あれがなかったら、今のこの安らぎも落ち着きもなかったのです。




鏡になってくださった方々に、心からの感謝を。

今はよくわかります、誰を責めることも あげつらうこともないのだと。

私たち みなそれぞれに、自分の道を 歩いている。。。それだけのことなのですね