前にもご紹介したことがある、津留晃一さんの 「豊かさの本質」 。
それまでずっと、自然が美しいから、人が優しいから、幸せだと感じるんだと思っていました。
でも、幸せは もともと私の中にあって、自然や人は それを呼び覚ますきっかけだったんだと知りました。
大事なのは もともとの自分を感じられること、きっかけの有無自体は それほど重要ではないんですね。
この見方が腑に落ちるようになると、外に見えるものに対する意識も 変ってきました。
美しい自然や 温かい心などは やはり大切にしていこうと思う一方で、否定的な氣持ちを刺激するものについては、時に 「アイコン」 として 距離を置き、醒めた目で見るようになりました。
この 「アイコン」 の捉え方が、昨今のさまざまな問題解決のカギだと思うのです。
たとえば、悪人の代名詞のように言われるヒトラーも、人間である以上、実際には 悪も善も 怜悧な計算も豊かな情緒も ひっくるめて内包していたことでしょう。
ただ、その中の悪の要素を突出させたと見られたことで、悪のアイコンとして語り継がれるようになった。
ここで注目すべきは ヒトラーではなく、彼を悪のアイコンに見立てる 私たちの意識のほう。
私たちみんな、彼と同じく 悪を含む 数多くの要素を持っています。
それが、ヒトラー = 悪 と決めつけ アイコン化することで、悪を外に追いやり、自分の中の悪から目を背けるようになった。
外から触れてくるものを通して 自身の内にあるものに氣づく代わりに、氣に入らないものをどんどん外に投影して、内側を見ることをやめてしまった。
そして、その結果生まれたさまざまな問題も、やはり外から解決しようとがんばっています。
私たちは最初、五感で感じ取る世界しか知りません。
この世界は、善悪 ・ 正誤など 真反対の価値観を一対として成り立っていて、私たちは そのあらゆる要素の中から 好きなものを選び出しては、自分の世界を創っています。
この世界がすべてだと思ったままだと、二極世界の性質上 どうしても争いを避けられず、しかも なかなか解決できません。
私たちひとりひとりが違う以上、選ぶものも築いた世界も 人それぞれで当然なのですが、自分と違う選択に 違和感を覚え、それが 相手への反感に転じるのは ままあること。
反発するほど 相手も強硬になるので、対立は深まる一方、結局どちらかが 力ずくで抑え込むしかなくなり、争いはどこまでも シーソーゲームのように続く。。。。二極世界ならではの光景です。
ほんとうに問題や争いをなくしたいと思うなら、外に投影していた否定的アイコンを 自分のこととしてして捉え直し、感じることです。
いくらそんなものは自分にはないと思いたくても、ほんとうになければ、それがそのように他者の姿を借りて 目の前に現れるはずがないのです。
感じることで 悪もまた 自分の意識が生み出していたと氣づくとき、内と外という二極の仕切りが消え、新たな視点が開けます。