毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

「このバカげた戦争を終わらせましょう」

2015年10月20日 01時38分04秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見



前の記事の続きになりますが。

今この瞬間も、国際間から家族間まで あらゆるところで起こっている、戦いや争い。

それぞれが 納得いく結果を勝ち取ろうとがんばりながらも、どこかで この先にほんとうの解決も平和もないことを予感し、どうやっても答えが見出せないことに 不安や疲れを感じている。。。。そんな氣がしてなりません。

戦いに勝って 真の平和が訪れたことなど、過去の歴史で ただひとつの前例もないのですから。

いくら 上からの理不尽な押し付けや 弱者の粗末な扱いに怒りを覚えても、戦いでそれがどうにかなるものではないことを、宮崎駿監督は よくわかっておられるのでしょう。




「ハウルの動く城」 のおしまいのほうで、マダム ・ サリマンは、「このバカげた戦争を終わらせましょう」 と言います。

現実の私たちの世界で、同じことを言いたい人がどれぐらいいるのか、戦いをやめたい人と 続けたい人の、どちらがより多いのか。

世界の先行きは、私たちひとりひとりのほんとうの氣持ちにかかっていると思います。




自分の中で 事あるごとに荒れ狂う怒りに手を焼き、問題や揉め事のない楽しい暮らしを望んで 和歌山に移ったはずなのに、そこで氣づいたのは、「自分は戦いたいんだ」 という事実でした。

本心では、戦いをやめることではなく、戦いに勝つことを望んでいたのです。

ほんとうの平和とはどんなものか よくわからないまま、勝ったときの爽快感を平和と取り違えていたのです。

愕然としつつも、とにもかくにも それが今の自分、と受け入れたところから、今度は自身の内側と とことん向き合う日々が始まり、そして11年。




平和を望んで戦うのは、不毛です。

戦いや争いは 二極世界のものであり、ほんとうの平和は そこにはありません。

こちらに戦いを押しつけようとする人を目にしても、対抗して土俵に上がったら そこまで。

そんなふうに戦いに身を投じた人のどれぐらいが、ほんとうに平和を望んでいるのでしょう。

どれぐらいが、かつての私のように、戦いに勝つことの快と 平和を望む心を取り違えているのでしょう。

土俵から降りたいのか 降りたくないのか、自分の内側に真摯に目を向ける以外に ほんとうの氣持ちを知る手立てはありません。




「まわりの世界は 自分の心の投影」 であることを受け入れられるなら、戦いを挑んでくる人が 自分の闘争心を象徴していることに氣づくでしょう。

争いを仕掛けてくる人がいるならば、火種は自分の中にあります。

いい悪いではなく、ただ そういうことだ、ということです。

私たちが身を置く現実世界は、そういう仕組みになっているのです。




自分を、そして起こっていることを、あるがままに見つめ、腑に落ちたら、どうすればいいかは 自然にわかります。

そういう人が これからどれぐらい現れるかで、「このバカげた戦争を終わらせる」 ことができるかどうかが決まるのだと思います。