毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

今ほど引きの視点が大切なときはない

2022年03月07日 14時05分36秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
大手メディア完全シャットアウトの貴秋の目耳にすら入ってくるニュースといえば よほどのおおごとなのでしょうが、少し前までコロナ一色だったのが、最近はロシアのウクライナ侵攻に取って代わった印象があります。

突然平穏な暮らしを奪われたウクライナの人々を思い 胸を痛める方も多くいらっしゃることと思いますが、そんなときは どうか感情の渦に巻き込まれず ご自身の心の痛みや乱れと向き合いながら 引きの視点からご覧いただきますよう、切に申し上げます。

なぜなら、長期的に見れば それがもっとも平和への近道になるからです。




過去記事 「映画 『アーヤと魔女』 その4」 で、「軸を忘れた人は 引いた位置から全体を見渡すことが不得手なので、対応がアンバランスで場当たり的になる」 と書きました。

例えれば、庭で水まきをしていたら 突然ホースに穴が開き 水が噴き出した、で 慌てて塞いだら また別の箇所に穴が開いた、この繰り返しにはまるようなもの。

冷静に考えれば、まずすべきは元栓を閉めて水を止めること、次にするのは穴だらけになったホースを新品と取り替えることだとわかりますが、目の前のことに囚われ なんとかしなきゃと必死になっているときは、これがわからないんですね。

いまの私たちの世界も、こんなようなものではないでしょうか。

たいへん、世界中で氣温が上昇し 氣候変動が起こり始めた、これ以上の上昇を抑えなきゃ。

たいへん、野生動物が次々と絶滅の危機に瀕している、保護しなきゃ。

たいへん、出生率が下がり 働き手が減って社会が立ちゆかなくなりそう、子どもの数を増やさなきゃ。

もちろん 「たいへん、なんとかしなきゃ」 と氣づくことは大切ですが、そこで目の前のことにしか注意がいかないと、ホースの例と同じようなことになってしまいます。

取りあえず応急処置は施すとしても、そもそもなぜそなんなことになったのか おおもとをたどることなしに真の解決を見ることは 決してないんですね。




戦争紛争の類いはたまたま起きるものではなく、人が意図して起こすものです。

そして、起こした当人が直接戦闘の真っ只中に赴くことはなく、傷つき倒れるのは 常に末端の庶民。

戦争を起こす人にはそれなりの目的があり、そこまでは本人も自覚しているでしょうが、さらにその奥には 本人も氣づいていない “なにか” があります。

そして、一見不当に巻き込まれただけのように見える庶民の側にも 氣づかないうちに入り込んだ “なにか” があり、それが仕掛けた側の意図に呼応する物語を紡いで、ネガティブな現実を創り出すのです。

これは いい悪い、正しい正しくないではなく、ただとにかくそういうものだということ。

リングに上がらなければ 闘いは成立しないのですから、大は戦争から小は口げんかまで、争いが起こったときには たとえそんなつもりがなくても それに応じてしまった側があるということです。




もちろん、いま苦しみのただ中にあるウクライナの方々に こんなことを申し上げるつもりは毛頭ありません。

一刻も早く事態が収束し、 これ以上傷つく人が出ることなく すべての人々が安心安全な日常を取り戻されることを 心から願います。

そのためにも、いまはまだ平穏無事で余力のある世界中の人々に このからくりをわかってほしいと思わずにはいられないのです。

その人たちの選択や行動が、この先の成り行きを左右するからです。

たとえどんな理由であれ 人が人を傷つけ殺す行為は容認できないと 世を挙げてはっきり表明することは、さし当たり戦闘を押し止める力にはなるかもしれません。

が、声高な非難で圧力をかけ プーチン氏やロシア軍を止めるだけでは、結局は相対する勢力の一方の勝利に過ぎず、勝つ者があれば負ける者がある、富む者があれば貧しい者がある、正義を掲げる者があれば悪を成す者がある、という分離構造自体の解消にはつながりません。

ですから、いずれまたどこかで形を変えて、何らかの戦いや争いが起こるでしょう。

でも、すでに何百年も同じことが繰り返される中、社会や経済のシステムも 自然環境も 人の心も疲弊し、限界まで来ています。

これ以上続けていれば、遠からず臨界点を越えて 取り返しのつかないことになってしまう。

意識のありようを大きく変えるときは、「いつか」 ではなく 「いま」 です。

そして 今度こそほんものの平和を実現できるかどうかは、「どこかの誰か」 ではなく、私たちひとりひとりの選択にかかっています。