毎日がしあわせ日和

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「戦いから降りてハッピーエンド」 って?

2022年03月13日 09時59分28秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
「『戦いに勝ってハッピーエンド』 ではなく 『戦いから降りてハッピーエンド』 という新しい意識のありよう」 と 「?度目の正直となるか、天下分け目の正念場」 という記事のおしまいに書きましたが、単純に考えれば、誰だって失うものの多い戦いなぞしなくてすむに越したことはないと思うでしょう。

にも関わらず、身の安全や大切なものの無事を脅かされると、私たちは瞬時に身構えて 大切なものを奪おうとする相手が誰なのか見極めようとし、相手が特定できれば 戦いを挑むか逃げるかの二択となります。

この二つは一見正反対に見えますが、積極的消極的の違いはあれ 「敵対するものがある」 と認めている点では同じで、すでにリングに上がってしまっていることに変わりはありません。

で、戦いに勝てばハッピーエンド、負ければバッドエンド、ここにもやはり分離の構造があります。

「戦いから降りる」 とは この分離の構造を超えた概念であり、意識のありようを変えることで おのずと見えてくる境地。

これを描いているのが、あのジブリアニメ 「アーヤと魔女」 や 「ハウルの動く城」 なんですね。




「アーヤと魔女」 のアーヤは、ベラ ・ ヤーガの高圧的な態度を 快適な生活を送るために取り除かねばならないものとは見ても、ベラ本人と敵対しようとは考えません。

「ハウルの動く城」 のソフィーも、愛するハウルの心臓を取り戻し 彼を幸せにしたいと望みますが、そのために荒れ地の魔女やマダム ・ サリマンと戦おうとはしない。

望みを妨げるものを敵認定し 戦って排除しようと躍起になっていると、いつのまにか戦いそのものが目的となり、目指すものが肝心の望みからずれてしまいます。

この二人は 軸がしっかりしており かつ自分の望みをよくわかっているため、目標にブレがなく、望みを叶える手段も押しの一手ではなく 必要に応じて引いたり搦め手から突いたりと多彩です。

で、アーヤはいじけた同居人二人の真の望みを引き出し実現させることで 二人とも味方にし、ソフィーはハウルと力ルシファーの契約の秘密を見つけ ハウルに心臓を返すことで、戦いの世界から離れて 新しい家族と幸せに暮らすのです。

この 「ハウル~」 のラストシーンの二つの世界の描き分けがすごくて、雲の下はまだ飛行軍艦が群れなすダークな世界なのに、雲の上はすがすがしい青空で、心で結ばれた “家族” を乗せて飛ぶハウルの城は 幸せを絵に描いたよう、両者は別世界なのだと得心させられる場面です。

「戦いから降りる」 とはまさにこのように世界を分けること、相手と異なる波長の意識を持って 別の波動領域に移ることなんですね。




敵だ味方だやっつけろ、となったとき、敵対する者どうしは 互いに正反対を向いてはいても 身を置く場所は同じ、すなわち同じ世界 ・ 同じ波動領域にあります。

戦いから降りると 相手から意識が離れるので、意識の波長そのものが合わなくなり、世界が分かれます。

降りるとは 波動領域を異にすることであり、そのためには 長いこと戦いしか教えられてこなかった私たちの意識のありようを変えることがぜひとも必要なのです。

で そのとき有効なのが、自身の痛みを見つめ 負の観念を手放すこと。




敵対する相手を意識するたび、不快感が湧き上がり いら立ちが募ります。

このいら立ちをなだめるため、相手をやっつける場面を思い描き、ときには実戦に及んだりするわけですが、その間中こちらの意識は相手に張り付いたまんま。

この世には 好きな人も物も場所もいっぱいあるというのに、わざわざ不快な方にばかり時間を割きアクセスしている、これってなんか変だと思いません?

貴秋は思いました、もっと大事な人がいくらもいるのに、なんで好きになれない人とうまくやっていくことばかりに心を砕いてなきゃならないんだ、おかしくない? って。

で、意識をもっと好ましい世界に移そうとするのですが、そうするとすごい抵抗が起きて、何が何でも腹立たしい世界に引き戻そうとする力が働くんです。

最初はこれをどうしたらいいかわかりませんでしたが、感覚フォーカスという手立てを得て、不快感や抵抗感など 上がってくるすべてのネガをひたすら味わうようになった。。。そうしたら。

すごい成果です、最終的に どの相手とも 顔を合わせることがなくなりました。

成り行きはさまざまで、氣づいたらいつのまにか出くわさなくなっていたということもあれば、相手が職場を辞めたり引っ越ししたりでいなくなったことも、こちらが敵対する氣が失せ 住み家を変えたり連絡を絶ったりするうちに忘れてしまったことも、仕事の任期が終わって自然に離れたこともありましたが、とにかく意識を離してしばらくしたら、貴秋の人生から相手の存在が消えていたという点は共通です。




ここでも 「意識が先、事象が後」 なのはもちろんで、物理的に距離を置くだけでは うっかりまた出くわすなんてこともままありますが、意識を離してしまえば いずれ物理的にも存在しなくなります。

ただ、この意識を離すというのが これまでの私たちの習慣にはほとんどなかったため、嫌いな上司でも苦手なご近所でもコロナでもウクライナでも 忘れようとする方がかえって不安だと思われる方も多いでしょう。

そのときは、対象や情報に触れているときの ご自身の感情の動きに注目されることをお勧めします。

ネガティブな事情も うまく使えば 意識の書き換えを促進し、引きの視点を取り戻して 毎日をより楽しくし、そのうえ世界平和に貢献することだってできるのです。