毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

死角のない意識が平和をもたらす

2022年03月12日 14時02分24秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
もうずいぶん前になりますが、「徹子の部屋」 でこんな話を聞きました。

ゲストの女性は着物姿の美しい演歌歌手の方でしたが、あるとき駐車場で車を降りた際、キーの閉じ込みをやっちゃったのだそうです。

で、慌ててなんとかしなきゃと 座席横の窓のわずかな隙間から手を突っ込んでドアのカギを開けようとしていたら、パワーウインドウだったのか 窓が持ち上がって 両腕を挟まれたまま動けなくなってしまった。

進退窮まったところに 通りかかった男性が手を貸してくれたのはいいが、反対側に回ったその人がひと言、「こっちのドアのカギ 開いてますよ」 。




・・・・・・・ (^▽^;)





似たようなことを経験された方も多いかと思います (もちろん貴秋も何度となくやらかしています) が、意識が狭まったときってまさにこんな感じなんですよね。

動揺しているときは 引きの位置から冷静に見渡す余裕をなくしていますので、目の前のことしか見えなくなり、すぐ近くにはるかにいい解決策があっても見逃してしまう。

同じようなことが、いまの激動する世界で起きている氣がします。




コロナだ戦争だと振り回される庶民が不安に取り巻かれるのはわかりますが、今回は 仕掛けている側も相当うろたえているように見えます。

富の偏在を生むカラクリは維持しつつ 経済破綻の責任の所在をうやむやにしようとあおり立てたコロナ騒動だけでは思うように事が運ばず、戦争まで起こすことになってしまった、しかも起こしている側も一枚岩ではないから、余計な小競り合いの火の手があちこちで上がり、どうやって収拾をつければいいのかわからなくなっているのではないかしら。

これまでにも民衆の目を欺いてさまざまな画策がなされたことは 数知れずあったでしょうが、その手際はもう少し巧妙でスマートだったはず。

が、このところの権力者側のやり口はあからさまで強引で一貫性がなく、焦っている感が否めません。

やはり “行き” と違って “かえり” の道は、流れに逆らうキツさが半端ないようです。

エネルギーの流れはいまや統合に向かっていますから、そこに無理やり分離を起こそうとすれば、反発を食らうのは当然なのです。

で、既得権益を手放したくない彼らが 目の前の火消しに躍起になり、長期の展望をもたぬままドタバタするおかげで、混乱がいっそう拡大している、貴秋の目にはそんなふうに映ります。

そして、地球全体に及ぶこの混乱を これ以上の被害を抑えつつ無事に収めて平和に導く、それがもっとも無理なくできるのは、権力者ではなく 庶民の側からだろうとも感じます。

既得権を握る者がそれを手放すのは よほどのことがない限り難しいでしょうが、すでにもうさんざん苦しんでいる庶民の側は 「これを切り抜けるためならどんなことでもやってやる!」 とモチベーションが高まっていますから。

では、このモチベーションをもっとも効果的に使うために、私たちはどうすればいいか。

行動は意識のありように従って起こるのですから、まず手をつけるのは 意識の書き換えからです。




瞑想などで潜在意識とつながったとしても、無論それは知覚できません。

ただ 再び顕在意識に戻ったとき、目に映るものは同じでも、その見え方が変わります。

体験の世界にどっぷり浸かっているときは その世界がすべてですが、潜在意識にアクセスしたあとは、絵から離れると そのまわりに額縁や壁が見えてくるように、その世界の周囲にも またそれ以外の世界が存在することがわかり始めます。

それまですべてだと思い込んでいた世界が 選択肢のひとつに過ぎなかったと氣づき、「なんだ、こんなの別に握り締めてなくてもいいじゃん」 と思えてきたとき、初めて自由意志での選択が可能になります。

この意識で混沌の世界情勢を見直せば、ネガ一色で絶望的としか思えなかった世界のまわりにも 平和への糸口が見つかりますから、あとは思い思いに動けばいい。

私たちはそれぞれ 魂レベルで取り決めた個性を携えて生まれてきていますから、新たに見えてくる選択肢も その個性に沿ったものとなります。

たとえ問題山積の世界であっても、そこに適した専門家が必ずいて、ベストの解決方法が必ず見つかる、このとき何よりなのは、アイデアのおおもとが全員共有の領域なので、各自が思い思いに行動しても そこに自然とまとまりやハーモニーが生まれること。

こうして皆がやりがいを感じながら自分の道に打ち込むうちに、世界が平和を取り戻すのです。