毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

ほんとうに起きているのは何かを見極めるのは いま

2022年03月21日 15時21分39秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
人間の五感というのは、だまされやすいものです。

五感の中でも占める割合が多いと言われる視覚のだまされやすさは、こちらにもあるように 一目瞭然。

あとの四つも、その氣になれば いくらでもだますことができます。

私たちの脳は、目の前の事象と過去に得た情報を照らし合わせて 現状を認知しており、過去データに合致する情報ほど信じ込みやすく、過去データになかったり反したりする情報は なかなか受け入れようとしないため、データの少ない事象については、都合のよい解釈をひねり出して 辻褄合わせをしてしまうことが ままあるんですね。

加えて 顕在意識には、「感情に訴えてくるものに弱く、感情を揺さぶる情報には 裏付けを取るより早く 反応しやすい」 というクセもあります。

つまり、私たちは 理論的な裏付けや証明を重んじるようでいて、実はけっこう好みや感情に流されやすい、ということ。




私たちの顕在意識は、五感で知覚できるものに反応します。

そこを利用して 目に付きやすいものにこちらの注意を引きつけておいて、陰でこっそり種を仕掛けるのが、マジック。

華麗なテクニックにだまされる楽しさは、なんど体験しても飽きません。

こんな楽しいだまし合いっこばかりならいいのですが、そうではないのが悲しいところ。

あるとき突然ひらめいたことがありました。

「スポーツでもなんでもやたら国別対抗で競わせるのは、国と国という線引きを強調して 私たちの意識に植え付け、隠しておきたい真の線引きから目をそらせるため」と。




貴秋は 「英雄たちの選択」 などの歴史番組をよく見ますが、再現ドラマの合戦シーンに必ずと言っていいほど出てくるのが、合戦が終わったあとの戦場に 泥まみれで打ち捨てられた敗者の家紋入りののぼり旗と、累々と横たわる戦死者の屍。

ここで亡くなっているのは、そのほとんどが足軽や雑兵など庶民出身の身分の低い兵なんですね。

型どおりの演出なのでしょうが、あのひらめき以来 この手のシーンを軽く見過ごせなくなってしまいました。

ほんのワンカットであれ、この人たちのひとりひとりに 故郷で待っている親や妻子がいるのだろう、どんなにか帰りたかっただろうな。。。。などとついつい考えて切なくなってしまいます。

合戦を始めるのは 領地を広げ 名を挙げたい大将でも、実際に最前線で捨て駒のように扱われるのは 勝者側であれ敗者側であれ いつも名もなき庶民なんですね。

貴秋の両親は共に昭和一桁の生まれで、多感なティーンエイジャーの時期に 太平洋戦争を経験していますが、貴秋が幼い頃より耳にタコができるほど聞かされてきたのは 「戦争を始めるのはトップでも、実際に苦しむのはいつも庶民」 だということ。

そういう影響もあってのことでしょうが、いまの貴秋には、この歴史番組の庶民兵と ウクライナ侵攻の犠牲者が重なります。




最近こんなニュースを目にしました。

「 『ウクライナ侵攻』拡散されたTwitter動画から見える若いロシア兵の“士気の低さ”と“迷い” 」

「避難先にも招集令状『まさか自分の元に』…ウクライナは総動員体制、家族離散も」

こうして敵味方どちらの側でも 迷い悩み恐れながら 否応なく最前線にかり出される人々と、太平洋戦争で 大義と本音の狭間で揺れ動きつつ動員された日米の若者たち、そして遠い昔 故郷の村から連れ出され 戦場でボロ屑のように使い捨てられた農民出身の雑兵たち。

隠れ家を爆撃され 死傷するウクライナの人々も、太平洋戦争で 東京をはじめ各地で爆弾の雨の中を逃げ惑った人々も、戦国時代 突如自分たちの村が戦場となり 合戦の巻き添えを食った人々も、やはりみな庶民であり、弱い立ち場の女性や子どもやお年寄りなのです。

さらにはその向こうに、愛する人を遠いアジアの戦地で失い悲しみにくれたアメリカの人々、突然の侵攻に賛同していないのに ロシア人として肩身の狭い思いをせざるを得ない人々、そして戦火が拡大し 自分たちもまた巻き込まれるのではと恐れる世界中の民衆が存在するわけで。

もう心の奥底では誰もがわかっていること、ほんとうの対立は 国と国などではなく、富を奪った者の末裔と奪われた者の末裔、実権を握り 命令一つで民衆を動かす側と動かされる側、法を盾に取り一方的に裁く者と裁かれる者のあいだで起きているということを、いますぐひとりひとりが引きの視点から確かめることが、平和への第一歩だと思います。

その構図が明らかになって初めて、誰もが「このバカげた戦争を終わらせましょう」 と心から思える。

目に見えるところで末端の者同士を争わせておき、自分たちは庶民の目の届かないところに身を潜めていたからこそ、偏ったいびつな巡りを こんなにも長く続けてこられたのです。

軍需産業の振興により、その偏りはさらに大きくなったことでしょう。

でもそれももう限界、これ以上こんなことが続いたら、人間界だけでなく 地球全体が持ちません。




いまトップとして目に付く政治家たちも この体制の真のトップではないのでしょうが、では真のトップとはいったい誰なのか、それを特定する必要はありません。

それを見極めなければならないのは 「戦いに勝ってハッピーエンド」 の世界での話、「戦いから降りてハッピーエンド」 の世界では、先日も書いたように そんなことはどうでもいいのです。




この話、もう少し続きますね。