毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

「次元移行」 とは、特別でも劇的でも高尚でもない ごく当たり前のなりゆきなのだ

2022年03月16日 10時21分44秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
貴秋は 「自身の内なる声を聞く」 という表現をよく使いますが、この 「内なる声 (もちろん実際の人の声ではなく、ふとした思いつきやインスピレーションのこと) 」 に従って生きようとしたとき必要なのが、全き自由。

ひらめきが いつ どこで降って湧くか、なぜそれをする必要があるのか、いつまでそれに従事することになるかなんて 顕在意識では一切わからないのですから、社会的役割に縛られ 定められた時間割に従って暮らさねばならない身で 内なる声に無条件に従うなど どだい無理な話です。

この社会的制約というのは、一見外から課せられているようでいて、実はそれを創り出しているのは 私たちひとりひとりの 催眠にかけられ制限された意識。

自身の 「こんなこと許されるはずがない」 という頑なな思い込みが 外の世界に投影され、「おまえはいったい何をやろうというんだ、氣でも違ったのか? そんなことが許されるはずないだろう」 という他者の非難の声として降り注ぐのです。

ですから、意識の枷を取っ払い 内なる声のままに生きるか否かは、めいめいが催眠を解き 意識を根底から書き換えるつもりがあるかどうかにかかっているんですね。




もうウン十年も昔の話になりますが。

なんでそんな話題になったのかは覚えていませんが、当時中学生だった貴秋に 父が突然次元について語り出したのです。

  「一次元の生物は、直線上に住んでいると思えばいい。

   線だから、動くには右か左、どちらかへ行くしかない。

   次の二次元世界は、左右の他に前後もある 面の世界であり、そこの生物が動き回れるのは 面の範囲すべてということになる。

   三次元になると、そこに高さが加わる。

   三次元の生物は、前後左右プラス上下にも移動できるということ。

   一次元の生物からすれば、前後や上下への移動など あり得ないこと、到底理解できないことだ。

   同じく二次元の生物にとっても、三次元生物の上下の動きは 何が起きているのか理解の外ということになる。」

なぜそんな話を聞かされているのかさっぱりわからないながらも、不思議とインパクトのある話で、後日さっそく友人に受け売りしたのを覚えています。

笑顔でうなずきながら聞いてくれたけれど、彼女もなんでそんな話を聞かされてるのかさっぱりわからなかったろうなぁ (笑) 。




「アセンション」 という言葉を初めて知ったのがいつだったかは覚えていませんが、この 「次元上昇」 という概念、五感を超えた領域に関心のある人には いまやすっかりおなじみのようです。

三次元生物である私たちの次なる領域は五次元で、自身の波動を高めることで移行するとのことですが、私たちの三次元意識からすれば、五次元移行など あの父の話の 「自分より高次の生物を あり得ないと見る」 のと同じで、荒唐無稽なSF話としか聞こえないのも無理はありません。

が、引きの視点に立つことに慣れ、物事の見え方や自身の反応の仕方に実際に変化が起きてみると、それは突飛でも飛躍的でもない、東にあった太陽がいつのまにか西に移っているのと同じぐらい さりげなくナチュラルな変わりようであることがわかります。




貴秋は別にアセンションが目的だったわけではなく、ネガティブな状況をどうにかしたい一心で 感覚フォーカスに打ち込んだだけですが、変化に氣づくのは いつもだいぶ経ってからのことで、変化している最中に 「あ、いま変化してるな」 とか 変化直後に 「すご~い、こんなに変わった!」 なんてことはまったくありませんでした。

それはきっと 変化の度合いがあまりにもわずかずつで、太陽の動きを知ろうと壁に映る影をじっと見つめても 動いているように見えないのと同じことなんだろうと思います。

でも そんな太陽も30分も経つと けっこう移動しているのもので、意識についても かなり後になってから 「そういえば最近前みたいにイライラしなくなったな」 などとふと思うことで、実はけっこう変わってたんだなと氣づけたりします。

三次元の自分からすれば 五次元意識の自分なんて想像もつきませんが、実は意識変化の間中 どこを取っても 「いまこの瞬間の自分が当たり前の自分」 なわけですから、ネガを手放す作業を地味に続けつつ 日常を送るうちに、いつのまにか 「朝方昇った太陽が ふと氣づけばもう沈もうとしている」 みたいに 知らぬうちに五次元意識になってしまっていたなんてことが、誰にでも起こり得るわけです。

いまの自分の意識が三次元か五次元かなんてわかろうはずもありませんが、以前よりずっと前向きで安定していて、周囲でなにが起きようと影響されず楽しく生きられるようになってきたのはわかりますし、そこまで諦めず粘り強くやってきた自分をうれしく思えるのも確かです。

ですから、いまの自分が何次元意識なのか、アセンションしたのかしていないのか、なんてどうでもよくて、ただこのまま意識の書き換えにいそしみながら 毎日をハッピーに暮らしていけるなら それで十分というのが正直なところです。

なまじアセンションだの次元上昇だのと特別なイベントのように取り上げられると 妙に身構えてしまいますが、実際は 限られた人だけが夢中になるオタク話でも夢物語でもなく、もともとそうであった “軽やかで安らかで豊かで満ち足りた私” に戻る ごく自然で当たり前な成り行きのこと、いま起きているコロナもウクライナ侵攻も氣候変動も経済悪化も 私たちがその成り行きにすっと乗っかれるよう 背を押しているだけと見ることもできるんだよ、というのが、貴秋色の眼鏡を通して見える、いまのこの世界の現実です。