Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

海を見る

2006-09-02 | 外国映画(あ行)
★★★★★ 1996年/フランス 監督/フランソワ・オゾン

「ぼんやりしてると毒盛られるよ」



私がオゾンを見た順番は「焼け石に水」→「まぼろし」→「海を見る」。

「焼け石に水」で、感覚的にこの監督のセンスって好きかもと思って、
「まぼろし」を公開時に観て、へえ~こういう深い作風も撮れるんだね~と感心して、
じゃあ、昔の作品も見るぞ~と思い、
「海を見る」で、ぶっ倒れた。

その後昔の作品は一通り見て、新作が出る度に見ているわけだけども衝撃度はこの作品がNO.1。

夫が仕事で出張中で赤ん坊と二人で過ごす若い主婦。そこに、庭にテントを貼らせて欲しいという若いバックパッカーの女がやってくる。夫の不在で人恋しくなった主婦は、やがてその若い女と親しくなっていくが、やがてその女はとんでもない行動に出始める…。

この家があるのは、海辺のやたらと自然が美しい場所。そこに真っ赤なテントでしょ。コントラストのキレイな映像。と、思ってみていたら、あまりのドッキリショットに何度パンチを喰らったことか。リビングのテーブルの角で自慰にふける主婦のシーンにびくっとして、極めつけはテント女がわざと残していく便器の中の汚物。やられました。まず、こんなものを堂々とカメラで撮っていいの?人様に見せてもいいの?この映画は短編なので、よけいに印象が強烈に残るんです。

構造としては、寂しい心に付け込む悪魔の所行ということなんだけども、この主婦がね、あまりにも無防備なんですよ。見ているこっちはハラハラしっぱなしで、「ダメだよ、そんな奴家に入れちゃ~」って叫んでました。

このテント女の存在は、何かのメタファーであるのは間違いない。で、それが何のメタファーなのかは、きっと観る人それぞれによって違うんだろうな。テント女は悪魔の使いなのか、それとも人間なら誰しも持つ心の暗闇といった普遍的なものを指すのか。衝撃のラストと共に「コイツは誰なんだ」という問いが頭の中をぐるぐる回る。

毒のある映画が好き、なんて気取ったこと言ってる奴に、ホントに毒盛りやがったなって感じの作品。ただね、映画って観客がいてこそ成り立つものでしょ。観客を徹底的に喜ばせるための映画作りもある一方、こんな映画撮っちゃうなんて、何とフランソワ・オゾンという男は肝が据わっているんだろう、と違った意味でほんとに感心した。この毒があまりにも強烈だったので、最近は濃度が薄いなあ、と思ったりもしてる。