Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

69 sixty nine

2006-10-09 | 日本映画(さ行)
★★★★ 2004年/日本 監督/李相日
「モテたいゆえの思想」


「パッチギ」の時に、主人公の康介がなぜそれほどまでに「イムジン河」に入れ込むのか伝わらなかった、と書いた。が、しかしこれは少々違うのかも知れない。それはその世代なら当然わかってしかるべき共通認識かも知れないからだ。だから、彼がこの曲に入れ込んだ理由などいちいち描写することでもなかったのかも知れない。「イムジン河」と聞いただけで目頭がじんと熱くなる世代の方々なら、何を言ってるんだオマエ的な感想だったんだろうな…。

さて、この「69」は、作家村上龍の半自伝的小説が原作。全共闘時代、そしてウッドストック。世代としてかすりもしない若い人たちが観たら、ちっとも面白くないんだろうか。いや、そんなことはない。それは「パッチギ」と同じだ。体制への反抗心、そしてどこかにぶつけなければ処理できない若者たちのエネルギー。だが、今作は基本的にそれらの行動が「モテたい」という、下心にのみ集約されているのが微笑ましい。時代とか、そういうかったるいことは抜きにして、モテたい故のハチャメチャぶりをただ笑い飛ばせばいいのだ。

ただ、悲しいかな、私のような村上龍好きならば、彼がこの後上京してフーテンのような生活を過ごし、福生に移り住んだ後はアメリカ兵たちと生死をさまようほどドラッグに溺れたという事実を知っているだけにそれなりの感慨もあろうけど、そうではない人に取ってはドンチャン騒ぎを見せられただけ、という感想になるのもうなずける。

でも、学校のバリケード封鎖、映画制作、フェスティバルの開催と彼らがエネルギー全開で突っ走る様子は十分に楽しめる。学校中に落書きしたり、校長室で大便したり、とまあやりたい放題。どっぷりの佐世保弁も面白い。叩かれても叩かれても起き上がる主人公ケンを演じるのは妻夫木聡。親友アダマが安藤政信。どう観ても60年代の学生には見えないけど、それがかえって当時を知らない人たちには、身近に感じられて良かったんじゃないかな。

青春の1ページを描いただけには違いないけど、こんなにディープな時代だってあったんだって思えば結構楽しめる。全共闘なんて言うと、暗いし、小難しくなるけど、こんなバカバカしい描き方でこの時代を振り返るのも、それはそれでアリなんじゃないのか、と私は思う。美術教師であるケンの父親を演じるのが柴田恭兵。キャスティングを聞いた時は合わないと思ったけど、これが案外良かった。