Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ベロニカは死ぬことにした

2006-11-07 | 日本映画(は行)
★★★ 2005年/日本 監督/堀江慶

「ツンとすました感じが受け入れがたい」


図書館に勤めるトワは「明日がわかる」退屈な毎日にピリオドを打つために「大嫌いな私へ」と遺書を書いて自殺未遂を図る。ところが、目覚めたのは精神病院の中。しかも、自分の命は後一週間ほどだと医師に宣告されるが…

有名な小説が原作と言うことだけど、未読なのであくまでも映画の一作品として感想を書きます。

精神病院のユニークな患者たちの演技は興味深い一方で、ちょっと作り手の自己陶酔的な匂いを感じて気になる。個性的な人々が集い、自由気ままに生きているというシチュエーションは、「メゾン・ド・ヒミコ」を思い出させる。あの作品もゲイの人々の影響を受けて、生きる気力を失っていた沙織が自分自身を取り戻していくのだけど、この作品には私はあまり共感が持てなかった。

精神病院を描くというのは、本当に難しい。彼らの奇妙だけど、人間味のある行動は、人が本来持っているものは何かを訴えてくれる。だけれども、今作では演劇的な演出とセリフの言い回しによって、「精神病患者を演じています」ということをビシバシ感じてしまって、正直冷めた目線になってしまった。そこからは、とても作品に感情移入することができず、上っ面をなぞるような観賞になってしまった。

「メゾン・ド・ヒミコ」で沙織は決して自分を受け入れることのないゲイの男を好きになり、そこから新たな自分を見いだしていく。しかし、今作はクロードなる人物になぜトワがひかれてゆくのかもよくわからないし、クロードの人物造形があまりにも陳腐で弱い。

淡路恵子、風吹ジュン、中島朋子、市川正規、片桐はいり。このあたりの脇役陣をビッグ・ネームで固めすぎたのが、かえって災いしたんじゃないかな。トワの空虚さをあぶり出すことにもっと心血注いだ方が良かったように感じる。きれいな映像なんだけど、このテーマならもっとぎゅっと心をつかまれるような瞬間がないと。

私は究極的に映画は「生」と「死」を描くためにあると思っていて、そのどちらにも「性」を描くことは不可欠だと思ってる。だから、死を前にした彼女が性、すなわちセックスを意識するということは、極めて自然な流れだと思う。でも、そこに行き着くまでにトワからあふれてくるものをもっと伝えて欲しい。精神病院という「ハコ」をいかに美しくおとぎ話のお城のように描くかに、ポイントが大きく置かれてしまったようなそんな気がして仕方がない。