Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

サイダーハウス・ルール

2006-11-28 | 外国映画(さ行)
★★★★★ 1999年/アメリカ 監督/ラッセ・ハルストレム

「人間は不器用だからこそ、愛おしい」



20世紀半ばのアメリカ。田舎町の孤児院で、堕胎を専門とする産婦人科医ラーチに育てられたホーマー。成長し、彼の助手として手伝いをしていた彼は、堕胎に訪れた若きカップルと共に突然孤児院を去ってゆく。初めて外の世界を知り、リンゴ園で働き始めた彼にとっては、何もかもが新たな体験だった…

ジョン・アービング原作の映画には、本当にハズレがない。こう言ってしまうと、そこそこレベルにきこえてこえてしまうかも知れないが、いずれの作品も人の心を暖かくさせ、思慮深くさせるすばらしいものばかりだ。今作「サイダーハウス・ルール」の舞台は孤児院。いつものごとく「生きることはすばらしい」というアービングの基本理念が叙情豊かに描かれている。

望まれずに生まれてくる子供たちを暖かく育てるラーチ。そしてそのラーチに育てられ助手として成長するホーマー。血は繋がらなくともふたりの絆は深い。ラーチ医師を演じるのはマイケル・ケイン。違法である堕胎手術を女性のため、子供のために行い、一方孤児たちに深い愛情をたむける。彼の行いは全て人間としての深い慈悲によって行われている。しかし、彼は精錬無垢な神のような存在かというとそんなことはなく、寂しさを紛らわすためにエーテル中毒になっている。

主人公ホーマーを演じるのは、トビー・マグワイア。一見して感情の起伏が乏しい青年のような演技に見えるが、私はこれは演出だろうと思う。孤児として育てられ、数多くの堕胎手術に付き添ってきた彼は、人生に対して一種の悟りを得たような人物ではなかろうかと思う。大声で泣き叫んでも何も変わらない。そんな状況で生きてきた彼だからこそ、あのような朴訥とした、しかし心の清い青年になったのだと思う。

トビーが心を寄せるキャンディにシャーリーズ・セロン。後ろ姿の裸体のなんとまあ美しいこと。孤児院の外の世界を全く知らずに育ったホーマーにとって、神々しいほどの美しさを見せる必要があったシーンだと思うが、シャーリーズ・セロンの裸体はまさにその期待に応える美しさ。

ジョン・アービング原作だから、きれい事ばかりではない。堕胎、人種差別、そして近親相姦。これらの問題を際だてた演出をせずに、心にじわりじわりと染みこませるラッセ・ハルストレム監督の手腕はさすがだ。人間は誰しも完璧ではない。間違いも起こす。それもひっくるめて、一生懸命生き抜くこと、自分の役割を見いだすことの大切さを訴える。当たり前だが「タイムトリップ」や「不治の病」を使わずに感動作は作れるのだ。