Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

東京タワー

2006-11-20 | TVドラマ(日本)
★★★ 「彼女の存在が大きすぎる」

この物語は、母と息子の濃い結びつきが肝なのだ。このふたりの関係を、“マザコン”と呼ぶ人もいるかも知れない。しかし、マザコンという言葉は違う。マザコンという言葉は「相互依存」の関係を示す。しかし、ボクとオカンは100%「無償の愛」のもとに存在している。それこそが、この物語が多くの支持を受けた圧倒的な理由だろうと思う。

原作ではボクの彼女は登場するが、あまり多くを語られてはいない。オカンが彼女を気に入り大事にしていた指輪をプレゼントしてしまった、というエピソードは出てくるが、それ以上の話はない。この物語に第二の女はいらないのだ。ガンになってしまったオカンのことで頭がいっぱいになったボクは彼女を受け止める余裕がなかった。だから、ボクは彼女と別れた。

しかし、ドラマ版では彼女に大きな役割を与えてしまい、ボクとオカンの密度は明らかに薄くなってしまった。これが仮に、広末涼子サイドの意向をテレビ局が受け入れた結果なのだとしたら、やはりテレビはテレビなんだな、とがっかりせざるを得ない。彼女とも別れ、オカンはもうすぐ死ぬ。ボクは孤独だ。そんなボクを支えたのは、オカンの愛とオカンの思い出だ。死にゆくオカンとボクの間に流れる濃密な時間。これを描かずして、何とする。

オカンの葬式の日も編集者が原稿を取りに来てボクはイラストを描かざるを得なかった、というエピソードがなかったのも個人的には不満だな。オカンが死んだ日もその哀しみにくれることができない、好き勝手に東京に出てきてイラストレーターという仕事を選んだボクのつらさがひしひしと伝わってくるエピソードなのに。私もフリーランスなので、この小説にはフリーランスという仕事の不安定さとか哀しさが随所に出てきて、結構そういうところでも泣かされたんだよね。

というわけで、商業主義まるだしのフジテレビ戦法も含め、少々がっかり。
映画に期待しよう。
それにしてもコマーシャルが多すぎる。