Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ママの遺したラヴソング

2009-03-03 | 外国映画(ま行)
★★★☆ 2004年/アメリカ 監督/シェイニー・ゲイベル
こりゃ、へたれ「ブラック・スネーク・モーン」

不良少女をやさぐれ爺が更正させるってお話ですから、これ「ブラック・スネーク・モーン」と同じですね。サミュエル・L・ジャクソンはクリスティーナ・リッチを鎖で縛り付けてブルース聴かせながらパンツ一丁で監禁。対して、トラボルタは文豪の一節を語りかけて病気で泣き落とし。実に対称的です。しかし、作品の完成度、印象度ともに断然「ブラック」の方に軍配。この実にじめじめとした地味な展開が最終的に心にじんわりくればいいのですが、何とも中途半端な収束です。

不良少女はどちらもエロくていいんですが、スカーレットは高校生に見えんでしょう。無理があります。高校を中退してしまい男と同棲しているバカ娘にも見えない。彼女、肉感的ではありますけど、だからと言って決してマヌケな女という印象ではありません。むしろ、表面的には肉感的でも、ちらりとスマートなところが見え隠れする。これぞ、スカーレット・ヨハンソンの魅力ではないでしょうか。

とどのつまり、ミスキャストなんです。それは、トラボルタも同じで。元文学教授のインテリな佇まいが見えるかというと、全くナシ。序盤は、どういう話かつかみどころがないんですが、それは2人の人物設定が全く腑に落ちないところから来る違和感が原因ではないでしょうか。冒頭、「不良少女をやさぐれ爺が更正させるってお話」だと書きましたが、そうだとわかった時にはすでに1時間以上が経過していましたもの。エロティック対決ならデボラ・カーラ・アンガーも負けないはず。でも、何だか人のいいバーのママなんですよねえ。誰も彼もがしっくり来ない。

パーシーの父親は誰かと言うのも、誰でも予測できるオチです。ふたりの間に入る作家志望の青年ローソンが、もっと物語をかき回す存在になるのかと思ったらそれもありません。著名な文豪の小説が多数引用されているわけですから、脚本も負けずにいいセリフが出てくればいいんですけど。かなり物足りない作品でした。