Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

君のためなら千回でも

2009-03-07 | 外国映画(か行)
★★★★☆ 2007年/アメリカ 監督/マーク・フォースター
「青空に舞う凧に思いをのせて」


ソ連侵攻前の平和なアフガニスタン。裕福な家庭の少年アミールと、彼の家に仕える召使いの息子ハッサンは親友同士。ところが恒例のケンカ凧大会の最中にある事件が起き、ハッサンを遠ざけるアミール。そしてソ連軍が侵攻、アミールはアメリカへ亡命。20年後、ある電話を受け取ったアミールは、タリバン独裁政権下の故郷へと向かう…


少年期のちょっとした過ちが、一生のわだかまりとなって主人公を悩ませる。シチュエーションとしては「つぐない」にも似ています。子どもだからこそ持っている純粋さが、他人を傷つけてしまうということ。これは普遍的なテーマなのかも知れません。しかし、「つぐない」にしろ、本作にしろ、同じようなテーマでありながら、物語の背景を実に叙情的に、ていねいに描き込んでいる。ゆえに固有の輝きを放っているのです。

本作では、平和で美しいアフガニスタン。そして、空に舞う色鮮やかな凧。この風景が本当に美しく、日本から遥か離れた中東の地で行われる子どもたちの遊びに、なぜかノスタルジックな郷愁をかき立てられ、胸を締め付けられます。この伸びやかな子どもたちの姿もやがてソ連の侵攻により見られなくなってしまう、そんな予感とともに。

小説家として大成したアミールがハッサンの息子を捜しに行く後編も感動的なのですが、全編見終わってみると、やはり少年期を描く前半部が印象に残ります。主従関係をわきまえた上での友情。少年らしい本音の付き合いで、何の見栄も飾り気もなく、本当に二人はウマが合う名コンビ。だからこそ、ふたりの絆を引き裂く出来事が残酷です。そして、事件の張本人がタリバン政府の人間として再び目の前に現れるという皮肉な運命。

全てを乗り越えて、大空に舞う凧を追いかけるラストカットがすばらしく、涙が止まりませんでした。過去は取り戻せないし、やり直すこともできない。しかし、今の自分にできる全てを捧げたアミール、そして、ハッサンの息子に幸あれと、凧に願いを託さずにはいられないのです。