Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

春夏秋冬そして春

2009-03-09 | 外国映画(さ行)
★★★★☆ 2003年/韓国・ドイツ 監督/キム・ギドク
「考えすぎてはいけません」


深い山間の自然に囲まれた湖に浮かぶ小さな寺で、時を超えて幼子と老僧が織りなす四季の物語。

直情的な性描写や人間の業をこれでもかとえぐり出す人が、一転してこういう美しい物語を紡ぎ出す。このギャップが面白いと言えば面白い。海外で高く評価されたというのも、いかにもな佇まい。

美しい幽玄の世界が大変に魅力的。日本でも中国でもベトナムでもない、韓国固有の美の世界を存分に堪能。湖の入口にしつらえた門の開閉で始まる各エピソードは、まるで絵本をめくるよう。春夏秋冬が時代を経てつながってゆく。その巧妙な語り口にすっかり見入ってしまうのも事実だ。

しかし、この思わせぶりな映像がやや饒舌過ぎると感じられるのは私だけだろうか。特に、宗教的な教え、教訓とも呼ぶべき数々の示唆が説教くさく感じられてしまう。それは、静かな映画だからこそ、観客に考える猶予を与えてしまうという皮肉な逆効果とも言えよう。幼き頃生き物を虐待したことが、大人になっても償わねばならない罪として背負わされている。これは、キリスト教の原罪を思わせる。また、本作の設定の仏教で言えば因果応報にあたるのかも知れない。それでも、老僧の脅迫めいた言い草は仏教の「慈悲」とは程遠く違和感を感じる。まるで、カソリックの独善的な神父みたい。青年になり、若い女性へほのかな欲望が芽生えた時も、老僧はわかっていながら見過ごしているようにも見える。その真意とはいかに。

結局、常に何かの教訓の裏返しとなっている老僧の一つひとつの言動に、キリスト教やら仏教やら儒教やらギドク教やらがごちゃまぜになっているようで、どうも一貫性が感じられず、セリフは少ないゆえに映像によって語るに落ちるという状態になっているのではないか。

ただ、そのような疑念を吹っ飛ばしてしまうほど、舞台装置は圧巻。韓国政府を説得して作ったという湖に漂う小寺。このアイデアがすばらしい。人物をとらえながらも周りの風景は動いている、その映像は今まで見たことのない世界。春になれば、新緑の景色を湖は己に映し込む。そして、冬になれば湖が凍り、寺は固定される。そして、部屋にしつらえた境界としての役割を果たす開け放たれた扉。この独自の世界観には文句の付けようがありません。