Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

トウキョウソナタ

2009-07-13 | 日本映画(た行)
★★★★ 2008年/日本 監督/黒沢清

「いつもの清の方が好き」

んー。いい映画でしたが、私は不条理ホラーの黒沢節の方が好きですね。

「家族の崩壊と再生」というテーマを扱った日本映画はたくさんあって、どうしてもそれらと比べてしまうんですよね。最近の作品で言えば「蛇イチゴ」や「歩いても、歩いても」。同じ小泉今日子主演では「空中庭園」。これらの作品群の方が、ぎゅうっと胸を締め付けられるものがありました。つまり、家族というわかりやすい設定だけに、もう少し私の心に侵入してぐわんぐわんと揺さぶって欲しいという願望が出てきてしまうんですね。

確かにあんな職安もないし、アメリカの軍隊にも入れないし、これが架空の「トウキョウ」だと言うのがわかります。ならば、もっと架空を前提に飛ばしてしまった方が、私は見ていて居心地が良かったな。リストラを言い渡される時のびゅうびゅうと揺れ動くブラインドカーテンとか、Y字路で合流する家族とか、えらい演出がストレートでちょっと面食らってしまいました。役所と一緒に小泉はどこかの別の世界へ飛んでいってしまうのかと思ったんですけど(笑)。で、あれはどこへ行ったんだ。あの世界は小泉の心象風景じゃないか、とか、そういうことをグダグダと考えるのが黒沢映画の楽しさなのですが、みんなきちんと家に帰って来ちゃいました。

どうにもならない不可避なモノを扱ってきた監督が、どうにかなるモノを描こうとしている。そんな方向転換ぶりなのかな、とも思ったり。それぞれの一夜の逃避行を境にまた家族は新たな道を歩き始めるのですが、そんな家族を包み込むのが天才的と称される息子のピアノの音色、というのも、個人的にはやや納得しがたいかな。その音色の美しさは置いておいてね。あの逃避行はどうも個人レベルで完結しているように感じるんです。夫は妻に対して、子どもに対して。妻は夫に対して、子どもに対して。家族という最小単位の社会において、佐々木家はその最小社会を維持していくために何を獲得し、どう互いに関わっていくのか、ということが見えないの。そこが物足りなかったです。

ただ、ラスト近く海辺の小泉今日子をとらえるカットはとても美しい。私にはここが一番の見どころでした。