Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

やわらかい手

2009-07-18 | 外国映画(や・ら・わ行)
★★★★ 2007年/ベルギー・ルクセンブルク・イギリス・ドイツ・フランス ) 監督/サム・ガルバルスキ

「きみの歩き方が好きだ」

「あの胸にもう一度」で裸にジャンプスーツで時代を魅了したあのマリアンヌだからこそ、老いた女性の寂しさが身に迫ります。人は年を取る。それはみな同じ事なのですが、特に若かりし頃、その美貌をもてはやされた女性は老いとどう向き合っていくのか。同じ女性として興味は尽きません。本作で特に考えさせられたのは、とうの昔にその価値などなくなってしまったであろう「性欲の対象」としての存在価値が、「手による奉仕」というカタチを変えて、今ひとたびマギーの元に戻ってきたことです。あの小さい穴の向こうにおばあさんが存在していることなぞ、男たちは微塵も思っていないでしょう。しかし、紛れもない「女性の手」、やわらかな女性の手を求めて男たちは行列を成す。幻想の元に成立する性欲を持つのは、人間だけ。まさにその通りなのです。

自分の手に男の性欲を満足させられる特別な物が宿っていると悟った時、果たしてマギーはどんな心境だったのでしょう。夫を亡くし(しかもその夫は浮気をしていた)、孫は難病で生死をさまよい、資金繰りに奔走するマギーの前に突如現れた「性欲の対象」としての自分。ベルトコンベアーのように突き出されるモノに対して、テキパキと流れ作業のように手を動かす。マギーはそうして、お仕事と割り切っているかのように見えます。しかし、私はラスト、男の胸に飛び込むマギーを見るに、彼女は自分の中の女性に目覚めたのではないかと思わずにはいられないのです。

彼女が愛に目覚めたのは、毎日男のモノに触れてきたからでしょうか。いえ、むしろその日々があったからこそ、ミキが言った「君の歩き方が好きだ」という告白がきらきらと輝いたのではないでしょうか。そして、あのマリアンヌに対して、「いつまでも美しく輝く君が好き」ではなく、「歩き方が好き」と言わしめてしまう。そこに何とも言えないやるせなさとそれでいいのさと言うかすかな希望の入り交じった複雑な心境を味わってしまったのでした。

マギーを演じるマリアンヌは、演技派女優として老いた女性の心境を情緒たっぷりに演じてはいません。それは、正直に言うのなら、彼女自身の演技者としての力量によるものだと思います。でも、却ってこの淡々とした感じが作品の不思議なムードを作り上げています。それにしても、真実が判明した後の息子の言動の腹立たしいこと。やはり、息子っていつまでも母には聖なる存在でいて欲しいのでしょうか。それって、自分の子どもの命よりも大事なこと?息子の複雑な胸中にも、いろいろ考えさせられました。