Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ココ・シャネル

2009-08-16 | 外国映画(か行)
★★★☆ 2008年/アメリカ・イタリア・フランス 監督/クリスチャン・デュゲイ
<梅田ガーデンシネマにて観賞>

「ハーレクイン・ロマンスのごとき展開にガッカリ」

先日、イブ・サンローランが亡くなった際、NHKのハイビジョン放送で彼の特集番組を放送していましたが、大変面白いものでした。やはり、トップデザイナーが生み出すデザインというのは、時代と共に生きているですね。そこが大変興味深いのです。例えば1966年にサンローランが発表した「スモーキング」は、男性の礼装を初めて女性に着せた画期的なファッションでした。当時女性のフォーマルな服装はドレスと決まっていたし、あまりに斬新な試みだったため、オートクチュールとしての「スモーキング」には全く注文が来なかった。そこで、彼は大量生産で「スモーキング」を店頭で売ることにした。プレタポルテ(=高級既製服)の誕生です。そして、これが当時増えつつあった働く女性に爆発的な人気をもたらします。

時代を席巻したデザインにはこうしたワクワクするような逸話がたくさんあります。ゆえに私は本作でもこうしたファッション・ファンの胸をくすぐるエピソードにたくさん出会えると思っていたのに、全く持って期待はずれでした。本作では、この長い尺のほとんどがココの恋バナに費やされているのです。貴族の囲われ女から脱皮して、前の愛人の親友と恋仲になるも、彼の浮気によって恋は破綻、残された道は仕事に生きることだった。とまあ、何だかハーレクイン・ロマンスのごとき展開。そんなことよりも、孤児だったココがデザイナーとしての才能をどのように生かし、どのようにして一流の域までのぼりつめたのか、そちらの濃度を濃くして欲しいのです。

ライバルデザイナーに婦人服地を買い占められ、仕方なく仕入れたジャージー素材の洋服が戦時中ということもあり評判を得た、なんてエピソードも出てきます。しかし、こうした「デザイナーの才能を発揮した」シークエンスは、「こんなこともありましたよ」ってな添え物のごとく、ことごとくスルー。「愛人の喪に服するために着ていたブラックドレスが思いがけず評判になったわ…」って、そのひと言で終わりかよ!なんで、大衆はブラックドレスに注目したんだい?そのブラックドレスは業界にどんな革命をもたらしたんだい?シャネルブランドにどんな影響を与えたんだい?なーんも、答がありません。

じゃあ、せめて洋服の製作現場をリアルに再現して見せてくれるのかというとそれもナシ。オーマイガッ!モノ作りの現場って、すごく面白いじゃない。「キンキー・ブーツ」でブーツが出来上がる工程がすごく楽しかったでしょう?あのツイードのスーツはどうやってできあがるの?せめて、それくらい見せてよ!と、だんだんイライラしてくる。(笑)ココがちらっと「私はデザイン画が描けないから」というシーンもあるんですよねえ。ええ~?じゃあ、どうやってショーの準備をしていたんだろう。わたしゃ、そっちの方が知りたい。

確かに波瀾万丈で、誇りと心意気とチャレンジ精神を持った女性だってことはわかります。 でもねえ、これしきで女性の強さが描かれているなんて、 ナメてもらっちゃあ困る。 あの時代の女性がこれほどの地位を築き上げているんだもの。 そこには、もっと「仕事人」としての生き様があるはずですよ。 そこを描かないで、どーする!?と思いましたです。 かつ、当時のファッションは女性の意識改革と密接に関わっているんです。 そういうところも全然見えてこないんですよね。 (スカート丈を10㎝上げる、なんてシーンもありましたがね。ただ、それだけ)

とまあ、最初から最後まで「そんなことは早く終わらせてよ」って、恋バナで全編繋げられての138分。長くて疲れました。波瀾万丈恋物語が好きな人にはお勧めしますが、「ファッションデザイナー ココ・シャネル」の物語として見ると、大変物足りない作品でした。