Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

人間椅子

2009-08-25 | 日本映画(な行)
★★★★ 1997年/日本 監督/水谷俊之
「少々のパンチじゃKOされない乱歩原作」


手を変え品を変え、映像化されている「人間椅子」。
よくよく考えると、ちゃんと原作を読んだことがないなあって、いうことで、読んでみました。

「江戸川乱歩傑作選」という文庫。

「屋根裏の散歩者」や「D坂の殺人事件」「鏡地獄」など、どれもこれも映像化された作品ばかり。これは、オトクです。

で、「人間椅子」なんですが、原作は女流作家が自分の元に送られてきた奇妙な原稿を嫌だ嫌だと思いつつ、好奇心に負けて読んでしまう。で、終わりなんですよね。たった30ページの短編。なるほど。モチーフの面白さはダントツで、後はいろいろと脚色したくなるような余白が十分残っているわけです。「俺だったら、この原作に何を盛り込んでやろうか」そんな創作魂に火を付ける小説ですね。

で、映画に戻りまして、水谷俊之監督の「人間椅子」。
こちらは、女流作家と外交官の夫、そして原稿を送りつけてくる家具職人の三角関係という大胆な脚色。夫を演じる國村隼が腹話術人形を操るシーンなど、なかなかヘンテコな感じが面白いのですけど、全体を眺めるとやはり突き抜け感が今一歩という感じ。

乱歩映画の場合、どれほど小説を凌駕する表現ができているかどうかって言うのが、ひとつの判断材料になってしまうんですね。例えば、黒革の椅子から顔がびょ~んと出てくるなんても面白いんだけど、どうせやるならクローネンバーグの「ビデオドローム」でテレビから唇が飛び出してぎょわわ~んと動くくらいのぶっちぎり感があってもいいんじゃないかと思ったりして。

潔癖性の妻が家具職人を追い続け、ついに布越しに関係を持つ、という展開もエロティックではありますが、やっぱりあくまでも「そこそこ」。これまた増村の「盲獣」のごとき、ぶっちぎり感が欲しいところです。中途半端な飛ばせ方じゃ観客は納得しない。これぞ乱歩作品の難しさでしょうね。

勝手に脚色したストーリーをほったらかしにするのではなく、ちょっとした驚きと共にきちんとけじめを付けているのは良いです。ラストの展開は、物静かな変態男、國村隼の存在感が光っています。お手伝いさんを光浦靖子が演じていますが、何となく彼女の存在で昭和の時代に撮影されたような雰囲気が醸し出されていて、これもナイスキャスティングでした。