Casa Galarina

映画についてのあれこれを書き殴り。映画を見れば見るほど、見ていない映画が多いことに愕然とする。

ミスト

2009-09-24 | 外国映画(ま行)
★★★★☆ 2007年/アメリカ 監督/フランク・ダラボン
「霧の中の光」

ホラーは苦手なのですが、「一番怖いのが人間」を見せることがホラーの本質であるならば、もっとホラーを見るべきだなあと思わせてくれる作品でした。基地で発生した謎の怪物は狂言廻しにしか過ぎず、よってこれらのゲテモノ生物たちがいかに荒唐無稽であろうが関係ありません。いや、むしろそんなことはどうでもいいと思わせるほど、人間の集団心理と狂気が際立つ。その演出の見事さに圧倒されます。

閉じこめられたスーパーが全面ガラス張りであるということ。この装置の巧さには唸ります。ぼんやりと霧が立ちこめる外界が見えるようで見えないことで、安心と不安を行ったり来たり。私も思わず目を凝らしそうになりました。

集団心理の恐ろしさでは、数々の名作があり、つい先日レビューした「実録 連合赤軍」や「es」など枚挙にいとまがありません。しかし、この「ミスト」ではあくまでも「正義」「人道」をもって戦い抜く一握りの人々がおり、全ての観客は彼らに望みを託します。ラスト近く、彼らが乗り込んだ4WDのヘッドライトが霧を照らすシークエンスが実に印象的です。走り去る車の後、ゆっくりとカメラはガラス越しに彼らを見送る狂気に満ちた人々を映し出す。果たして、それは「見葬る」という言葉がふさわしいのか。霧の中で浮かび上がる光は、希望への階段を照らす唯一無二の明かりとすら見えるのに。それまでの展開から、あのヘッドライトの光に宗教的な意味合いを感じずにはいられませんでした。

スーパーで演説をぶちかまし、あっというまに教祖に祭りあげられてしまう女性。生け贄を差し出せという彼女の詭弁に「だからキリスト教は嫌よ」なんて、思ってしまったものですが、新型インフルエンザがまだ豚インフルエンザと呼ばれていた今年の春先、ある方のエピソードを聞いて浅はかな考えを改めました。話はこうです。ある日地下鉄のベンチに腰掛けていたら、マスクを付けたひとりのオバサンがつかつかと無言でやってきて、彼に携帯の画面を見せたそうです。そこにはこう書かれていたとか。「今流行しているインフルエンザは強毒性に変わり、やがて多くの人が死ぬことになる。伊勢神宮の○○札を買えば、感染することはない」と。私は身震いしてしまいます。宗教の種類なんて関係ないんですね。自分だけ助かればいいという究極のエゴイズム。この醜い感情はウィルス以上に、凄まじい勢いで伝染していくのです。

無情のラストは賛否両論。しかし、不思議と不快感はありませんでした。成り行きだけを見れば、人間なぞ何をしても変えられぬ宿命の元に生きるもの、と虚無的にもなりかねません。それでも、私はこのラストがすんなりと胸に落ちてきます。これも人間、あれも人間。まるで無我の境地に至ったかのような余韻にいつまでも浸り続けたのです。過ぎゆく戦車の行列は、この現実世界においてデヴィッドの選択を生み出さないために我々はどうするべきか、という問題を突き付けているように思えて仕方ありませんでした。