Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

村山浅間神社・興法寺大日堂(2018年6月15日参拝)

2018年07月20日 | 神社
富士山本門寺根源から約6キロ離れた場所に鎮座する、
村山浅間神社へ移動。

この神社は昔は修験道のお寺で、
今川義元公、武田勝頼公、徳川家康公等、
錚々たる武将が崇敬し篤く守ってきた歴史があります。

にも関わらず、
明治政府のボケどもが発令した悪法の神仏分離令によって、
興法寺は廃され、今は神道に属することになった神社です。


所在地:静岡県富士宮市村山字水神1151
御祭神:木花之佐久夜毘賣命
本地仏:大日如来
配合神:大山祇命、彦火々出見命、瓊瓊杵命、天照大御神、伊弉諾尊、伊弉冉尊
創建:伝・孝昭天皇2年(紀元前474)
社格:県社、浅間大社元摂社


【由緒】
社伝によると孝昭天皇2年(紀元前474)、
富士山中腹の精水ヶ岳(御室)で創建されたとする。

村山は富士山における修験道の中心地であり、
明治時代の廃仏毀釈運動により廃されるまで、
興法寺という寺院であった。

鎌倉時代には修行者により寺院が成立したと考えられ、
村山には正嘉3年(1259)の銘がある大日如来坐像が伝わっている。

修験の一大拠点として賑わう一方、権勢者も崇敬を寄せ、
なかでも駿河国守護今川氏は村山を厚遇している。

今川範忠は文明10年(1478)に社殿を寄進し、
今川義元は村山を俗界権力の及ばない聖域と定め神威維持に助力した。

近世の村山は興法寺を中心とする、
修験者や門前百姓の住む修験集落だった。

天正8年(1580)北条氏の兵火によって社殿を失ったが、
同年武田勝頼が鷹野因幡守徳繁を奉行に御室大日堂を再建。

天正11年(1583)には、徳川家康が堂社および諸末社を再建した。

明治初年の神仏分離令により、三坊の修験者は還俗し興法寺は廃され、
興法寺の中心的堂社であった浅間神社と大日堂は分離された。

また大棟梁権現社は廃され場所を変え高嶺総鎮守として祀られた。

神道に属するようになった浅間神社は明治8年に村社へ列し、
大正13年に県社昇格。

戦後、村山浅間神社として神社本庁包括の宗教法人となった。
その一方、本地大日堂は単立の宗教法人となり、
いまは同一境内に2法人が共存するかたちとなっている。


【一の鳥居】




鳥居前に10台分ぐらいの無料駐車場がありました。


【境内】



【二の鳥居】



【拝殿】



【本殿】



【社務所】


土日のみ開いているそうです。


【興法寺大日堂】




土日にはお堂が開いており、
大日如来坐像等が拝めるそうです。

残念です。


【護摩壇】





【氏神社】







【宝篋印塔・地蔵尊】



【八大金剛童子】



【境内社】



【大スギ】









【御神木】






これにて参拝終了。

土日には社務所で村山浅間神社と大日堂の御朱印をいただけます。

神社とお寺の御朱印を一緒にいただけるのは全国的にも珍しい。

私が知る限りここの他に二カ所の寺社しか知りません。

また、オリジナルの木製の御朱印帳も頒布中。

これはどうしても欲しい。

諦めきれずネットで調べると、村山浅間神社と共同開発した
キャパサービスという会社に連絡すると購入出来るという。

土日の明日と明後日は別の寺社に参拝予定で、
村山浅間神社とはかなり離れているので参拝は無理。


そういう訳で早速電話(0545-32-6132)してみると、
私の住所に注文書を送るとのこと。

後日届いた注文書を見ると木製の御朱印帳2700円、
村山浅間神社と興法寺の御朱印代600円、御朱印帳袋2900円、
ビニールカバー540円、レターパックプレス代510円と記載されていた。

しかし、送金は振込みでは無く現金書留のみなんですよね。

現金書留は郵便局の窓口に出さなければならない。
平日は仕事だし郵便局は遠くて行く事は未だ叶わず。

いつか郵便局に行ける日が来たら購入することにしよう。


<2018年7月24日更新>

【御朱印帳】


現金書留で合計金額3810円を送ると、
数日後に自宅に到着。

御朱印帳のサイズは小さ目ですが、
凄い良い香り。(^^


【御朱印】


神社でお寺の御朱印をいただいたのは、
今回で二回目です。




しかし裏側はこんな感じ。

うーむ、紙質は良く無いですね。

残念。