落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

映画好きのつぶやき

2007年06月18日 | book
『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』太田直子著
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いやーおもしろかった。サイコー。
ここんとこ上手く読書に集中できなくて挫折ばっかしてたんだけど(セレクトに問題がある)、これは量的にも軽くて内容もおもしろくて、ひさびさ「本を読んで声をたてて笑う」くらい楽しめました。ユーモアたっぷり、ブラックジョークてんこもり。

ぐりが年間100本程度観ている映画の9割は外国作品。そのほとんどを字幕で観ている。
ぐり自身には語学力はまったくないけど、英語作品で内容がそれほど複雑でなければ、そしてタランティーノ作品クラスの超大量&早口台詞でなければ、ある程度まではなんとなく何をいってるかくらいはうっすらわかる。だから「おっとそう訳すか!」という言い換えにはときどきビックリすることもある。
そうでなくても外国語映画を観ていて字幕の訳に「?」となることはしばしばある。たとえばかのカンヌ・パルムドール作品である大作中国映画に出て来た「ロウソクに照らされた初夜」という字幕、観客の大多数が無言で「それは“華燭の典”やろがっ!!!」とツッコミをいれたことは、おそらくぐり日記をご覧の方の多くはご記憶なのではなかろーか。この作品の字幕翻訳者は大御所T女史。中国語は門外漢のはずだから、英語からの重訳である。にしてもせめて中国語ネイティブの校閲さえいれてればこんなド間抜けなミスは犯さずに済んだのではないかと思う。この作品は後年別の訳者(中国語作品専門の翻訳家では超メジャー)による北京語対訳シナリオが出版されたので、ビデオやLDやDVDに満載されたミス字幕の数々が、映画ファンの面前に永久に赤っ恥を曝し続けることになってしまった。くわばら。

現在は北京語も広東語も含め英語を介さずとも中国語作品の翻訳ができる人材も増えてるみたいだし、こういうことはおいおい少なくなっていくんだろうけど、それでもほとんどの字幕が英語台本を重訳している。だから先日も触れた『永遠の夏』のように、その言語ならではの記号的ニュアンスさえごっそりと抜け落ちるなどということが起きてしまう。
ただでさえ映画の字幕には字数制限と放送コードという厳しいルールがある。翻訳者の苦労がじゅうじゅう想像できるだけに、ネイティブの校閲がもっと一般的にしっかりと行われるようになってほしいと思う。
逆に、あえて贅沢をいわせていただくなら、できれば字幕翻訳家の方々にはなるべく広いジャンル・地域の映画に対する知識を身につけておいてもらいたいと思うこともときどきある。とくに香港・中国・台湾・韓国映画はハリウッド映画や日本映画の影響を強く受けているので、それら他地域の映画に関して知識が足りなかったり偏見があったりすると作品の理解度が低くなり、字幕の質にもそれなりに影響が出てくる場合があるからだ。

字幕といえば、去年は『ブロークバック・マウンテン』の最後の台詞もかなり激しい議論になった。
中年を過ぎてひとりぼっちになった主人公イニス(ヒース・レジャー)が、クローゼットにかけたジャック(ジェイク・ギレンホール)のシャツにこう語りかけて、物語は終わる。
“Jack, I swear... ”
この時の字幕は「ジャック、永遠に一緒だよ」。
ちょっと待てい!「永遠」って単語はどこ?「一緒」って単語はどこ?みたいな。
ちなみにswearとは「誓う、宣誓する」という意味で、神や聖書など神聖なものにかけて誓う、あるいは固い約束をする場合にも用いられる言葉である。直訳すれば「ジャック、オレは誓う」。これでなんでダメなのかと。飛躍にもほどがあろーがと。
確か『BBM』公開時はこの最後の台詞だけじゃなく字幕全体のクオリティが批判されてたと思うんだけど、そうでなくても中西部という独特の風土と日本人には縁遠いカウボーイ文化が濃く反映された脚本でもあり、翻訳者は相当に悩んだだろうということはわかる。そのまま訳したのでは日本人にはわかりにくい。かといってあまりに意訳してしまうと台詞のワイルドな風味が失われてしまう。
こういうときに登場するのが、配給会社の字幕担当者。太田氏によれば、彼らはとにかく「わかりやすさ」を強く要求してくるのだそうである。固有名詞の置き換えはもちろん、話の前後を説明するためにある台詞を要約してない台詞をつっこむ、なんて荒技も当り前。そうなると観客は完全に騙されていることになってしまうが、彼らはわかりやすくなければ映画は売れないと決めつけているから、劇場内に座って画面を観ている観客が騙されることは二の次になるのである。

この本にはこうした字幕仕事につきものの苦労話が満載されている。
配給会社との言い換えバトル、言葉の壁、差別用語、「泣ける」流行の波・・・字数制限や〆切については映画好きなら誰でも想像がつくけど、いやはやどんな仕事にも理想と現実のギャップはあるものだ。字幕翻訳者は脚本家や監督など制作者の意図をなるべく損なわずにかつ観客にわかりやすい良質の字幕をつくるために日夜努力しておられるのだが、そこに立ちはだかる障害は数限りなく存在している。なぜなら字幕翻訳はビジネスだからだ。クリエイティブではあるけどアートじゃない。制作者と観客と配給会社の板挟みの苦悩。全然ジャンルは違うけど、クリエイティブだけどアートじゃない仕事に就いてるぐりにとっては身につまされる話だ。

外国映画が好きで字幕翻訳家に憧れてる、なんて若者は必読の書です。つかもうみんな読んでるね。間違いなく。
とりあえずぐりは、映画を観てて「なんだこの訳は?」という字幕にぶつかったら、字幕翻訳者だけでなく配給会社のセンスも疑うべきだってことはわかりましたです(笑)。
ところでこの『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』ってタイトルは明らかに最近の「泣ける・純愛・不治の病・感動映画ブーム」に対する痛烈な皮肉だよね。ナァァァ〜イス!(byボラット

余談ですが。『永遠の夏』の主人公3人の役名は、主人公:正行=惑星、主人公の幼馴染みで片想いの相手:守恆=恒星、転校生で守恆のGF:慧嘉=彗星に因んでいるそうだ。それがジョナサン、シェーン、キャリー。…………。
※慧嘉を「惠嘉」と表記してる日本語サイトが多いけど、正確には「慧嘉」と書きます。念のため。

追記。『永遠の夏』の字幕、一般公開時は東京国際映画祭上映時の字幕が使用される予定だそうです。