『ひまわり』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B0009J8K9K&fc1=000000&IS2=1<1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
母が大好きだった映画なので、子どものころ何度かTVやビデオで観た記憶がある。うちにも録画したビデオがあったんじゃないかなあ。どっかに。けどたぶん20年ぶりくらい。意外とほとんど覚えてました。『魂萌え!』を観て以来再見したかったので、観れて満足しましたです。
今観るとけっこう短い映画なのに長大な大河ドラマのように記憶してたのは、物語の中で流れる時間の重さのせいだろう。イタリア軍のロシア出兵は1942年、ジョバンナ(ソフィア・ローレン)がロシアまでアント(マストロヤンニ)を探しにいくのはスターリンの死後なので1953年以降、夫婦の別離には少なく見つもっても11年以上の歳月が流れている計算になる。それに対してふたりの新婚生活はたった12日間しかない。12日間対11年間。
32歳だといっていたアントは43歳。ジョバンナの年齢はでてこないけど、女盛りの若く美しい時代を、生きているか死んでいるかもわからない夫をただただ待って過ごした11年間。重い。
印象的なのは「きみにはわからない」「うまく説明できない」という、戦争を表現しようとする男たちの台詞。
世に反戦映画や戦争映画は多々あるけど、この『ひまわり』も一種の反戦映画といっていいと思う。戦闘シーンもないし、死ぬ登場人物もいないけど、みんなが戦争の犠牲者だ。家族も含め彼らがどれだけひどいめに遭ったか、どんなにつらい思いをしたか、それをこの作品ではあえて映像にせず、言葉でも説明していない。そんなことできない、でもひどいんだよ、説明なんかできないくらいひどいんだ、きっとわからないと思うけど、そうとしかいいようがないんだよ。
ある意味ではすごく謙虚だし、もしかしたらこれ以上能弁な表現はないかもしれない。
『ひまわり』の夫婦のような物語は、戦争をした国なら世界中どこにでもいくらでもある話だろう。日本でも蜂谷弥三郎夫妻とか近衞文隆夫妻の例は有名だし、彼らは再会できたにせよできなかったにせよ、消息がわかっただけでもまだよかった方かもしれない。いっさいの消息もなく永久に引き裂かれたまま終わった夫婦や恋人も大勢いたに違いない。同じイタリア映画でも、『ニュー・シネマ・パラダイス』のトト少年の父親はロシア戦線で行方不明になったまま、という設定になっていた。
そこまでして戦争をする意味ってなんですか。ぐりにはわからない。わかりたくもないです。
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母が大好きだった映画なので、子どものころ何度かTVやビデオで観た記憶がある。うちにも録画したビデオがあったんじゃないかなあ。どっかに。けどたぶん20年ぶりくらい。意外とほとんど覚えてました。『魂萌え!』を観て以来再見したかったので、観れて満足しましたです。
今観るとけっこう短い映画なのに長大な大河ドラマのように記憶してたのは、物語の中で流れる時間の重さのせいだろう。イタリア軍のロシア出兵は1942年、ジョバンナ(ソフィア・ローレン)がロシアまでアント(マストロヤンニ)を探しにいくのはスターリンの死後なので1953年以降、夫婦の別離には少なく見つもっても11年以上の歳月が流れている計算になる。それに対してふたりの新婚生活はたった12日間しかない。12日間対11年間。
32歳だといっていたアントは43歳。ジョバンナの年齢はでてこないけど、女盛りの若く美しい時代を、生きているか死んでいるかもわからない夫をただただ待って過ごした11年間。重い。
印象的なのは「きみにはわからない」「うまく説明できない」という、戦争を表現しようとする男たちの台詞。
世に反戦映画や戦争映画は多々あるけど、この『ひまわり』も一種の反戦映画といっていいと思う。戦闘シーンもないし、死ぬ登場人物もいないけど、みんなが戦争の犠牲者だ。家族も含め彼らがどれだけひどいめに遭ったか、どんなにつらい思いをしたか、それをこの作品ではあえて映像にせず、言葉でも説明していない。そんなことできない、でもひどいんだよ、説明なんかできないくらいひどいんだ、きっとわからないと思うけど、そうとしかいいようがないんだよ。
ある意味ではすごく謙虚だし、もしかしたらこれ以上能弁な表現はないかもしれない。
『ひまわり』の夫婦のような物語は、戦争をした国なら世界中どこにでもいくらでもある話だろう。日本でも蜂谷弥三郎夫妻とか近衞文隆夫妻の例は有名だし、彼らは再会できたにせよできなかったにせよ、消息がわかっただけでもまだよかった方かもしれない。いっさいの消息もなく永久に引き裂かれたまま終わった夫婦や恋人も大勢いたに違いない。同じイタリア映画でも、『ニュー・シネマ・パラダイス』のトト少年の父親はロシア戦線で行方不明になったまま、という設定になっていた。
そこまでして戦争をする意味ってなんですか。ぐりにはわからない。わかりたくもないです。