『ハッシュパピー バスタブ島の少女』
ハッシュパピーというとどうも靴のブランドを思い出しちゃうんだけど、もともとはルイジアナ州あたり、アメリカ南部でポピュラーなクレオール料理の塩味の揚げ菓子のことらしいです。コーンミールと塩、小麦粉、ベーキングパウダー、ガーリックパウダー、牛乳、タマゴをまぜて油で揚げるだけ。おいしそう。
なんでこれを子犬を叱る言葉で呼ぶのかはよくわかんないけど。
映画はおそらくアメリカ南部、ルイジアナ州あたりが舞台になっている。地盤沈下が進み、海抜が低く、外部社会から隔絶された“バスタブ島”と呼ばれるコミュニティに父と暮らす6歳の少女が主人公だ。
父娘と地域の人々は現代社会を拒絶し、自由気侭な暮らしに拘泥するが、そこに嵐がやってくる。かねて予言されていた通り、バスタブ島はあっけなく水没する。“常識”ある人々は避難し、バスタブ島の自由を何よりも大切にする人々は死を覚悟で居残ることを選ぶ。
おそらくはハリケーン「カトリーナ」が背景になっている物語。
これすごく何かに似てる。どっかで観た。という気分がしてしょうがなかったんだけど、クライマックスでそれが何かわかる。
初期の宮崎駿アニメに似てるんだよね。『未来少年コナン』とか。『風の谷のナウシカ』とか。ただし世界観の設定がなかなかわからないという点では、けっこう観客に厳しい映画だと思う。でも主人公が子どもだったり、お母さんがいなくて、母親のイメージが内面的な救世主のような捉えられ方をしているところなんかはすごくアニメっぽい。
ごく正直にいえば、ぐりはこの映画それほど楽しめなかった。たぶん体調があんまりよくなかったせいもあるけど(早く帰って寝るべきでしたすみません)。
バスタブの人たちが必死で守ろうとする“自由”の価値はすごくよくわかる。誰もが彼らのように自由に平和に暮らせればいいとは思う。現代社会のルールや価値観には確かにくだらないものが多すぎるとぐりも思う。そばにいる人同士、もっといたわりあったり受け入れあったりして、やさしくあたたかい社会を築いていくことの方がどれほど豊かなことか、そしてそれができない現代社会の厳しさ、つめたさを否定したい気持ちはほんとうによくわかる。豊かさの価値なんてひとそれぞれで、互いに押しつけあうものなんかじゃない。
それでも、観ていてしんどいなと思ったのは、なぜかどうも、映画の世界の中の価値観が観客に「押しつけ」られてるみたいなプレッシャーを感じちゃったところなんだよね。
オレらが正しくて、こんな話を映画館でふんぞり返って観てるあんたは間違ってるんだよ、みたいな。被害妄想ですけど完全に。
まあわかるんだけどさ、もうちょっとやさしくいってくれてもよかったんじゃないの、って気持ちになっちゃったのは、ぐりがいま弱ってるからでしょうかね。
おそらくそうなんでしょう。ごめんちゃい。
あとはやっぱり、大災害のもとでの地域コミュニティが題材になってるせいで、どうしても震災のことを思い出しちゃうんだよね。
毎月東北に通ってる身としては、どうしてもバスタブ島の人たちに見下されてるみたいな気がしてしまうのよ。現代社会を拒否するのがより正しいような表現をされてしまうと、実際には決してそうはできなかった東北の出来事が、まるで正しくなかったようにいわれてる気がするわけ。残念ながら。
これやっぱ被害妄想だよね。まことにあいすみません。
ただ非常に教訓的ではあると感じました。物質社会、効率至上主義の危険性。けど、それはいまさら誰にいわれなくてもみんなよくわかってることなんだよね。わかってるけどなかなか投げ出せないの。ほんとごめん。
ハッシュパピーというとどうも靴のブランドを思い出しちゃうんだけど、もともとはルイジアナ州あたり、アメリカ南部でポピュラーなクレオール料理の塩味の揚げ菓子のことらしいです。コーンミールと塩、小麦粉、ベーキングパウダー、ガーリックパウダー、牛乳、タマゴをまぜて油で揚げるだけ。おいしそう。
なんでこれを子犬を叱る言葉で呼ぶのかはよくわかんないけど。
映画はおそらくアメリカ南部、ルイジアナ州あたりが舞台になっている。地盤沈下が進み、海抜が低く、外部社会から隔絶された“バスタブ島”と呼ばれるコミュニティに父と暮らす6歳の少女が主人公だ。
父娘と地域の人々は現代社会を拒絶し、自由気侭な暮らしに拘泥するが、そこに嵐がやってくる。かねて予言されていた通り、バスタブ島はあっけなく水没する。“常識”ある人々は避難し、バスタブ島の自由を何よりも大切にする人々は死を覚悟で居残ることを選ぶ。
おそらくはハリケーン「カトリーナ」が背景になっている物語。
これすごく何かに似てる。どっかで観た。という気分がしてしょうがなかったんだけど、クライマックスでそれが何かわかる。
初期の宮崎駿アニメに似てるんだよね。『未来少年コナン』とか。『風の谷のナウシカ』とか。ただし世界観の設定がなかなかわからないという点では、けっこう観客に厳しい映画だと思う。でも主人公が子どもだったり、お母さんがいなくて、母親のイメージが内面的な救世主のような捉えられ方をしているところなんかはすごくアニメっぽい。
ごく正直にいえば、ぐりはこの映画それほど楽しめなかった。たぶん体調があんまりよくなかったせいもあるけど(早く帰って寝るべきでしたすみません)。
バスタブの人たちが必死で守ろうとする“自由”の価値はすごくよくわかる。誰もが彼らのように自由に平和に暮らせればいいとは思う。現代社会のルールや価値観には確かにくだらないものが多すぎるとぐりも思う。そばにいる人同士、もっといたわりあったり受け入れあったりして、やさしくあたたかい社会を築いていくことの方がどれほど豊かなことか、そしてそれができない現代社会の厳しさ、つめたさを否定したい気持ちはほんとうによくわかる。豊かさの価値なんてひとそれぞれで、互いに押しつけあうものなんかじゃない。
それでも、観ていてしんどいなと思ったのは、なぜかどうも、映画の世界の中の価値観が観客に「押しつけ」られてるみたいなプレッシャーを感じちゃったところなんだよね。
オレらが正しくて、こんな話を映画館でふんぞり返って観てるあんたは間違ってるんだよ、みたいな。被害妄想ですけど完全に。
まあわかるんだけどさ、もうちょっとやさしくいってくれてもよかったんじゃないの、って気持ちになっちゃったのは、ぐりがいま弱ってるからでしょうかね。
おそらくそうなんでしょう。ごめんちゃい。
あとはやっぱり、大災害のもとでの地域コミュニティが題材になってるせいで、どうしても震災のことを思い出しちゃうんだよね。
毎月東北に通ってる身としては、どうしてもバスタブ島の人たちに見下されてるみたいな気がしてしまうのよ。現代社会を拒否するのがより正しいような表現をされてしまうと、実際には決してそうはできなかった東北の出来事が、まるで正しくなかったようにいわれてる気がするわけ。残念ながら。
これやっぱ被害妄想だよね。まことにあいすみません。
ただ非常に教訓的ではあると感じました。物質社会、効率至上主義の危険性。けど、それはいまさら誰にいわれなくてもみんなよくわかってることなんだよね。わかってるけどなかなか投げ出せないの。ほんとごめん。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます