落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

When you love someone you have to be careful with it, you might never get it again.

2017年11月05日 | movie
『ノクターナル・アニマルズ』

20年前に離婚した夫エドワード(ジェイク・ギレンホール)から、小包で小説の校正刷を受けとったスーザン(エイミー・アダムス)。
「夜の獣たち(ノクターナル・アニマルズ)」と題するその作品を読みながら、学生時代、まだ未熟だったふたりの結婚生活を思い返すのだが、そこに書かれた物語はあまりにも暴力的だった。
『シングルマン』で愛する人を亡くした大学教授の喪失の日々を描いたデザイナー、トム・フォードの二作目。

どんなに豊かでも、もっているものに満足できない人は、いつまでたっても不幸だ。
たとえば住む家がある。食べるものがある。履いてでかける靴がある。でかけて会える友人がいる。生活の糧を得る仕事があったり、ともに人生をわけあう家族がいる。
生きていくために必要なものは、実はそれほど多くはない。最低限、いちばんだいじなものだけ、手に抱えられるぶんだけ、肩に担ぐことができる程度のものさえあれば、たいていはなんとかなる。と個人的には思っている。
だが高度に複雑化した現代社会では、そうは考えない人はとても多い。つねに何かが足りなくて、その欠けたピースを埋めるためにもがいている。たいていそのピースは、いまは手元にはないけれど、どうにかすればちゃんと手が届くところにあるものと信じている。
世間はそれを自信とか上昇志向とか向上心とか出世欲なんて呼ぶかもしれない。ある意味では、その欲求が社会を動かしているといえる。しかし、そうした一方通行の欲求が決して少なくない人々を不幸せにしているともいえる。

スーザンはアートビジネスで成功し、イケてる現夫ハットン(アーミー・ハマー)と豪邸に暮らし、綺麗な娘(India Menuez)にも恵まれている。それでいてハットンの仕事のビミョーな雲行きからなのか、うっすら離婚を考えはじめている。夫は夫でニューヨーク出張中にどちらさまかとお楽しみだからまあお互い様といえばお互い様なのかもしれないけど。
美人で何もかも手に入れておいてここまで決定的にありふれて残念なシチュエーションから、20年近く音信不通だった前夫からの手紙が、静かに音もなく、しかし確実にすべり落ちていく罠のようにヒロインを陥れていく。
彼女はおそらく、自分が満たされないのは家庭生活のせいだと思っているけれど、そう考えがちな傾向が自らの根本的な価値観のなかにあることには気づいていない。
そのことを、20年も前、互いに何者でもなかったころの伴侶が、彼女に伝えようとしていたことにさえ、思いもよらない。

映画はヒロインの実生活の現在と、エドワードとの数年間と、小説「夜の獣たち」の世界とが交差する形で進行していく。
「夜の獣たち」の主人公トニー(ジェイク・ギレンホール/二役)は夜のハイウェイで暴漢(アーロン・テイラー=ジョンソン/カール・グルスマン/Robert Aramayo)に襲われ、車を奪われ妻(アイラ・フィッシャー)と娘(エリー・バンバー)が誘拐される。自身はどうにか難を逃れるが、翌朝になってようやく警察に通報するものの、捜査の結果発見された妻子は暴行を受けた挙句に殺害されていた。物語はこのトニーの主観で、彼がその後の人生を唯一の目的をまっとうするためだけに生きる過程をシンプルにストレートに描いている。
映画『ノクターナル・アニマルズ』の物語も、構造的にはやや技巧的ではあるものの、基本的には非常にシンプルでストレートだ。
愛と復讐。
男女の人生観の溝。
時間は決して逆には進まない。
普遍的な映画のテーマだ。それをこれだけのミステリーにできるんだからスゴいです。まさに圧倒的。原作も読まなきゃ。そういえば『シングルマン』の原作も読もうと思って読んでなかった。

残念ながらグッチやイヴ・サンローランみたいなブランドの服やら靴を買える身分ではないし、トム・フォードのことは『シングルマン』を観るまでよく知らなかったんだけど。テキサス出身なのね。小説「夜の獣たち」の舞台・テキサスの描写があまりにもあまりなのはそのせいなのかなあ。
エドワードとスーザンの設定が『ゴーン・ガール』に似てたせいなのか、ついついスーザンが『ゴーン〜』のエイミーに重なってみえてしまったけど、考えてみれば、あの映画にも描かれた“イケてる自分”を手に入れるために結婚して、結婚してみたらそうは問屋が卸さなかったなんて展開はおそらくは世界中どこにでも転がっている話だろう。肝心なのは、その“意外とイケてなかった”と判断できたときに、自分の人生にいちばんたいせつなものを見誤らずにうまく己をシフトチェンジできるかどうかが、自分で自分を幸せにできるかどうかを左右するのかもしれない。そのスキルに、教養とかキャリアとか知識とか経験はあまり関係ないのではないだろうか。
だから世の大半のカップルはこんなにドラマチックな恐怖の坩堝にははまったりしないのかもしれない。はまってないことを、天に感謝しなさいよという話ではないとは思いますけれども。



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