落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

日本国憲法第14条

2016年05月04日 | movie
『ヤクザと憲法』

1992年に施行された暴力団対策法(暴対法)によって取締りが厳しくなり、構成員数も激減/高齢化が進むヤクザの世界を、東海テレビが100日間かけて取材したドキュメンタリー。「謝礼金は支払わない」「収録テープ等を事前に見せない」「顔へのモザイクは原則かけない」というルールのもと、大阪の指定暴力団二代目東組の二次団体・二代目清勇会の日常と山口組顧問・山之内幸夫元弁護士のインタビューで構成される。

生まれ育った地域は件の有名暴力団の下部組織の本拠地だった。
学校の同級生にもそうした家庭の子がいて、学校行事にみるからにそれとわかる父兄が来ていたのを記憶している。彼らの存在は地域ではあまりにも日常の風景で、怖いというより町を構成するひとつの記号でしかなかった。世の中にはそういう人たちがいて当たり前というのがその辺りの共通認識だった。
問題の暴対法が議論されるきっかけになった抗争の時期は十代のころ。家のすぐ近所、登下校に通る道で発砲事件が起こることもしばしばだったけど、それがふつうじゃないことは上京して関西を離れてから初めて知った。
でも東京にだってどこにだって暴力組織はある。ヤクザじゃなくても、組織的に人を傷つけたり犯罪を犯したりする反社会集団は、人が社会を構成して生きる生物である限りはどうしても生まれてしまうものなのではないだろうか。暴対法施行後に起きた未曾有の無差別テロ・地下鉄サリン事件の実行犯たちはヤクザではなかった。現実社会に馴染めずオウム真理教というカルトに居場所を見出した高学歴のエリートだった。

もちろんそれがヤクザ≠暴力団を正当化する理由にはならない。
違法薬物や銃器の取引・所持は日本では禁止されている。モノを故意に壊したり人を暴力で傷つけたり恫喝で脅すのも違法行為だ。だがどこにも行き場のない人々が現実に存在していて、ヤクザがその受け皿になってしまっているのも事実なのだろう。貧しくて困っているときに衣食の面倒をみてくれた・懲役を終えて出所した後の孤独な身を受け入れてくれたその組織のために働いて、でも保険には加入できない、ローンは組めない、銀行口座は開けない、子どもが保育園への通園を拒否される、そうした人権侵害が暴対法という法律の名の下に堂々と行使される。
そんな少数者のためにと請われて顧問となった山之内弁護士さえ、通常は罰金刑にしかならないような微罪で繰り返し起訴され、弁護士資格を脅かされる。

このままいけば、暴力団(指定暴力団)は間違いなく衰退し日本から姿を消すだろう。それはもう避けようのない運命のようにも見える。
だがそのあと、彼らはどこにいくのだろう。
秩序に縛られた世の中からはみ出してしまう人というのは、いつどんな社会にでもいる。そういう人を含めて「社会」であるはずなのに、彼らの居場所が消えてしまったら、今度は彼らはどこにいくのだろう。
「ヤクザ」という目に見える居場所ではなく、まだ誰も知らない得体のしれない場所にもし彼らが吸い込まれていってしまうのなら、それは決して法の下の秩序による問題解決にはなり得ない。あるいはいまよりももっと悪い状況が引き起こされる危険性だってあるかもしれない。
そんなこと誰にもわからないんだろうけど。

取材クルーのスタンスが、初めから最後まであくまで中立なのが見ていて非常に心地よかったです。
たとえば初日に事務所の畳のうえに転がったテントケースを見て「マシンガンでもはいってるのかと思った」というクルーには笑ってしまった。いくらなんでもそんなもの畳のうえに転がさない。それでいてシノギのディテールについてはぐいぐいと直裁にインタビューしようとする。画面を通して観ている方が怖くなるくらい躊躇がない。
1989年に三浦友和主演で映画化された『悲しきヒットマン』の原作者でもある山之内弁護士の、最後の清々しさに溢れたなんともいえない表情がものすごく印象的でした。
しかし組長の川口さんはなんであんなに若いんだろうね。しゅっとしてて組長というよりホストみたい(爆)。ウェブサイトの画像と全然印象違っててビックリしました。

ヤクザに限らず、憲法や法律はなんのためにあるのか、深く考えさせられる作品。公開当初から観たかったけど、今日観れてよかったです。



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