百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

菊おっさん!

2011年12月05日 | 百伝。
百島から悲しい連絡を受けた。

叔父が亡くなったという知らせである。

物心がついた頃から、よく笑わせてくれた。

我が親類内は、今でも身内や親しい年長の方には、名前のあとに「おっさん」をつけて呼んでいる。

ちょっと若い兄さんたちには、名前のあとに「あんやん」をつけて呼んでいる。

まだ憶えているのが、中小路の祖母の家で、五右衛門風呂を沸かすのに、火をくべている間に、菊おっさんが、よく逆立ちをして歩きまわっていた光景である。

やんちゃだった菊おっさん・・小生よりも、ふたまわり上の同じ申年だった。

父にも、喰ってかかったこともあったが・・甥である私は、一度も怒られたことはない。

「ヘリコプターに乗って帰って来りゃ、すぐ百島へ着くのにのぅ」

「わしは、福井のそばが、うまいけぇ、大好物になってしもうたぁ」

ヘリコプターで帰省はできないけど、帰省するたびに越前の永平寺そばを手土産にした。

ここ数年、脳梗塞で倒れて以来、歩くのにも不自由な体だった菊おっさんだったけど、九月に帰省した時も面白いことを言っていた。

「わしが死んだら、電子レンジでチンして焼いてもらえば、ええわぁ」

昨夜、福山の病院で亡くなって、今夜は、百島の自宅で通夜を執り行うとの事。

近所も空き家ばかり、親類も僅かになって年寄りばかり・・百島での葬儀は、難儀で心配である。

今、百島へ飛んで帰りたい気持ちだが、義母が亡くなったばかりで戻れない。

菊おっさん・・。

九州の津久見、苅田~山口県宇部界隈を往復する貨物船の船長だった。

お孫さんたちは、しっかり大きくなって立派になっているとのこと。

渡辺金与勢の長男 渡辺菊夫おっさん・・79歳で逝く。

ありがとうございました。

ご冥福を祈ります。

南無観世音菩薩。合掌。