百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

大きな学

2011年12月15日 | 千伝。
小生、子供の頃、母の会計簿を盗み読んで、大変心配したことがあった。

「お金がなくなったらどうしよう?」と、幼ない心が痛んだものである。

昨夜、息子から「月収と年収はいくらか?」

「俺が、大学に進学してもいいのか?」

・・と突然質問された。

早く社会人になって金を稼ぎたい・・息子は、そんなことを考えているのだろうか?

「金は天下のまわりもの。何とかなるから心配しなくてよい」と答えた。

何だか・・息子から「我が家の経済状態」と尋ねられたような気がした。

心配しなくても、借金はない。

家族の教育費ぐらいの蓄えはある。

だが・・実際、十年前の年収よりも少ない。

さらには、二十年前の年収よりも、はるかに少ない。

円高、株価下落・・資産もドンドンと減る一方である。

このままでは、ジリ貧の生活状態である。

それでも・・。

貧乏よりも、具合が悪いのは、肥満体質である。

志望先より・・希望に満ちた息子よ!

決して、父さんのように志望と脂肪に満ちたような心と体にならないように。

心臓に負担がかかり、先行き不安の体調ではいかん。

自分を好きになるとよい。

世の中、ある人から好かれて、ある人から嫌われるというのは当然至極である。

「他人まかせ」ではなく、「自分まかせ」である。

「自分まかせ」ならば、生きて行くのが楽しくなり、人生が愉快に尽きる。

来年四月・・。

息子は、どこに進むのやら。

55歳の小生・・どこかの大学通信制への入学志望を考えている。

やり残した仕事や希望が山積みに沢山ある。

息子へ・・。

父の背中よりも、父の膨らんだ腹部を見なさい・・。

志望が先で、人生の希望や大きな学は、あとに続く。

ペスタロッチ

2011年12月15日 | 百伝。
少子化の時代。

尾道市と教育委員会によれば、数年内に百島中学校・小学校を、対岸の浦崎中学校・小学校に統合するとの事。

母校の高校名が消えた時は、寂しさも何も無かった。

だが、さすがに故郷の名を表した百島中学校が廃校となると悲しいものです。

尾道市内でも一、二を争うほど歴史伝統のある明治初期に創設された百島中学校・小学校です。

その故郷の母校名が消えるというのは、とても寂しいものがあります。

はて、さて・・。

気を取り直して、教育原理に関して思うことがあります。

消えてゆく大学があると思えば、生まれる大学もあります。

大学の近況を聞くにつけ、学部学科専攻の変遷は、随分あるとの事です。

とくに就職難の昨今・・就職し易い学部の新設は必至のようです。

最高学府である大学が、就職のため、また生き残るために迎合するのは、ある意味、専門学校化であり、ある意味での産学協同体でもあると考えます。

残念なのは、そのような傾向が深まれば深まるほど、学問からフィロソフィーが失せて行く事です。

「病気をみて、人をみない医者」

「判例に縛られて、自己判断を持たない裁判官」

「教師ながら、登校拒否の先生」

「投票率の低い選挙で、選ばれた政治家」

かつて、聖職と呼ばれた職業から仁術が消え、いまや「一億総算術」です。

「職業に貴賎なし」と言います。

ですが・・本当に貴賎がないのは良いけれども、貴の職種が消えて、賎だけになったのでは話になりません。

「道徳は善人をつくるが、法律は悪人がつくったもの」・・何を況やです。

「幹事長の一番の仕事は、選挙で勝つことです」の弁。

この言葉には、算術はあっても、哲学の匂いがしません。

世間も、政界も、大学も、社会も、人の世。

哲学を失っては、レベルの低下と言わざるをえないでしょう。

教授になった義弟へ・・。

もう一度、ペスタロッチに立ち返り、「教育の原理」を徹底すべきでしょう。