ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

塞翁が馬

2011年12月13日 | 百伝。
昔は、弓矢の家とは、武士(もののふ)を表わす言葉です。

京の都や畿内から、都落ちした武家が瀬戸内海に逃れた例が多いので、政略的に窓際に立たされたときに「瀬戸際に立つ」という言葉が出来たのでしょう。

故郷の百島にも弓矢の神事があるのは、その意味のようです。

瀬戸内海は再起を睨む、海に守られた要塞だったと思います。

さて、その弓道にしても、剣道、柔道にしても、八段、九段というのは、一体誰が決めるのかということになると難しいのです。

昔、柔道に姿三四郎のモデルになった空気投げの三船十段がいましたが、人に触れずして投げ飛ばす小兵の「姿三四郎」といった人は、別格で、二度と現れないでしょう。

八段を決めるには、九段以上の人が相当ですが、その九段が、なかなかいません。

人生にも段位があったら、今、何段だろうと考えると心寒くなります。

これからは、瀬戸際から「塞翁が馬」の心で、プラスの人生階段を登りたいものです。

発心

2011年12月13日 | 千伝。
感謝の気持ちはどこから湧いてくるのかというと、「ゆとり」からでしょう。

気持ちのゆとりは、生活のゆとりから得られるもので、窮屈な中では、卑屈さしか存在しません。

だが、それらも一時的な現象で、恒久的なものでない事を知っておかなければ、「楽は短く、苦は長く」に陥ってしまいます。

「楽は長く、苦は短く」するには、ほんのちょっとしたラッキーな事でも「感謝のありがとう」を心で発すること。

マラソン選手が競技後、道路やトラックにもお辞儀をするように、日頃、自分をささえてくれる住居や車、茶碗や箸にでもありがとうを発します。

朝ご飯もおいしいおいしいと言葉に出して食べると不思議に美味しさが増すものです。

これを「摩訶不思議の力」と言います。

小生の浅い経験則からでも、ちょっとした出世で鼻が高くなった時に「感謝のありがとう」が薄れ、人生の下降ベクトルが始まります。

鼻高々になると、それを忘れてしまって、ユーモアもなく、相手の気持ちを無視した独断的な嫌な人間になっていた事すら気がつかない状態になります。

「感謝のありがとう」を心で発します。

幸せを求めるのではなく「幸せを感じる発心」です。

天窓

2011年12月13日 | 千伝。
おそらく、江戸時代の夜空は、現在よりは数百倍も魅力のある宇宙だったに違いありません。

満天の星の輝き、降るような、手の届くような星座は、まるで、今で言うオーロラのような神秘さで、地上の退屈な人間に語りかけていたことでしょう。

その宇宙に存在していた星の光りが、地上に降りてきた時から、天文学者以外の人間は、多くを星に語りかけなくなったのでしょう。

夜空を見上げなくなった人間は、一体何を見つめているのでしょうか?

神様ではなく「紙」ばかりを見て生きているのでしょうか?

人間の目は、「こころの窓」と昔から例えられます。

心で考えたことが目というレンズを結んで、虚像と実像の世界を映し出してはいないのでしょうか?

つまり、こころの中に現れた「夢」という虚像を絶えず暗示し続けます。

目の外の実像の世界に投影されるように、神様は人間を設計しているのではないでしょうか?

夢という虚像さえ持ち合わせのない人間は、実像は生じないのかも知れません。

昔の人間は、よく金星の観察が出来たものだと感心するのは早計でしょう。

人間の目というレンズは、その背後の頭脳とのアイコンタクトであり、ありとあらゆるものを発見したり発明したのかも知れません。

まず、小さくて、強い虚像を、こころの中に結びます。

必然的に実像が出来るのは、すでに数多の実験で証明済みです。

営業利益と経常利益

2011年12月13日 | 千伝。
従業員3000人程度の楽天が、売上1兆円企業になったとか・・。

売り上げから経費を差し引いた粗利を、営業利益と言います。

他に土地や有価証券があったり、本業以外の益だしがあれば経常利益が膨れます。

株券を持っていても、昔は売却益が無ければ経常しなかったのですが、時価総額で経常するようになって、かつてのライブドアのようなバブル企業の出現となりました。

値洗いの株価で、他の会社の株を買収できるのだから、大変です。

オリンパスの企業買収による損失隠し・・。

中国のバブル企業が、日本企業と同じ損失隠しの手法で乗り込んできたら大変です。

欧米のグローバル指標を推奨した経常利益の比率が高まった時代は、世界不況の中のバブルの時代だとも言えます。

一般国民を小ばかか、子供扱いの世界各国の首脳や経済人のやり取りです。

働いても働いても、幸せは遠くなるような国や企業はなくなって欲しいものです。