ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

映像力 裸一貫

2012年03月24日 | 千伝。

青春の辞書に失敗という言葉はありません。

昨日、一昨日、我が家には、息子の友人が夜遅くまで遊びに来ていました。
今日あたりから、彼らは、大学進学のために、東京や京都へ引っ越し準備だそうです。
そのせいか、地元進学の息子は、家から通学可能なのに、アパートでの独り暮らしをしたいと言い始めました。
小生、学生の独り暮らしには、賛成です。 今、久しぶりにテキサスハンズで、ピザを食べています。
ピザを食べながら、アレコレと自分の学生時代を思い出しては、考えることがあります。

小生が、息子と同年代だった頃、ピザ専門店やコンビニエンスストアは、日本に上陸したばかりで大変珍しいものでした。
東京に進学してクラスメイトになったBとは、同じく一浪で同年齢で、いつも一緒に過ごしていました。
学校帰り、吉祥寺のファンキーというJAZZ喫茶やら井の頭公園で散策しながら、美学に関して何を話していたのやら・・忘却。 彼は、既に学生時代から構成作家としても活躍していました。
20代の頃は「世界なるほどHOW MUCH」という番組ディレクターとして、世界中を飛び回っていました。
彼の名前をテレビ番組のクレジットで見つけるたびに元気を貰ったものです。
もうひとり、二浪して入学した一つ年上のTには、ロック音楽への哲学的観念やらを教わりました。
レッド・ツェペリンやらヂィープ・パープルの凄さを、よく語っていました。
余談になりますが、ヂィープ・パープル絡みで、ホワイト・スネイクのメンバーだった某氏の息子と英国で知り合った思い出もあります。
その後、Bは、自ら映像制作会社を立ち上げたいという希望があったのでしょう。
小生やTにも、映像の仕事を一緒にしないかと何度か誘ってくれました。
「テレビの向こう側には、何千万人もの人々が観ている」が、誘いの掛け言葉でした。
小生は、その世界に踏み入れなくて、Tは、転職して、その世界へ入って行きました。
Tは、フリーになって、時々「いい旅、夢気分」の旅番組等の構成作家をしていましたが、いまは舞台脚本に精を出しているとのこと。
他にもう一人、別の方法で始めた映像アートの先駆者として、文化庁メディア大賞の審査員までのしあがったFという人物がいます。
彼からは、映像理論の蘊蓄を教えられ聞かされました。
視覚でとらえた映像世界は、メッセージ性の強い部分と前衛的で曖昧な部分があります。
映像という不思議な力です。
先日、公務員になったMから、連絡が入りました。
「あいつ、倒産。自己破産したよ」
珍しかったピザを一緒に食べた学生時代の友へ。
生まれるのも死ぬのも・・裸ひとつ。 裸一貫で、やり直せ!


青春時代にさまざまな愚かさを持たなかった人間は、中年になってもなんらかの力も持っていない。
(M・コリンズ)